Copyright(C)長谷川芳典 |
|
ブラタモリ「日本の構造線スペシャル〜“構造線”が日本にもたらしたものとは?〜」の後半で、淡路島の南方にある沼島(ぬしま)が紹介されていた。沼島は2003年2月に淡路島の灘黒岩水仙郷を訪れた時に、水仙越しに眺めたことがあった。 |
【連載】ブラタモリ「日本の構造線スペシャル〜“構造線”が日本にもたらしたものとは?〜」 4月2日に放送された表記の番組についてのメモと感想。 この回は浅野里香アナウンサーの卒業特集となっており、過去2年間の旅でしばしば取り上げられた「フォッサマグナ」、「糸魚川−静岡構造線」、「中央構造線」の違い、それぞれの成り立ちなどが分かりやすく解説された。 私自身、これまで、フォッサマグナと構造線を混同していたことがあり、例えば2016年4月16日の日記で、熊本地震に関連して 16日夕刻の民放ニュースの中では、130年前に起こった熊本地震 (1889年)のことも取り上げられていた。なおその2年後に別府で地震が起こったというような話もあったが、私が調べた限りでは2年後に起こったのは濃尾地震であり、別府湾での地震は1596年でずっと昔の出来事。1891年の濃尾地震と1889年の熊本地震が同じフォッサマグナ上で起こっている点は留意する必要があるかもしれない。と記したが、濃尾地方、別府、熊本は、いずれもフォッサマグナとは全く関係の無い場所にあることが分かった。 タモリさんは、これまでのブラタモリの中で、「糸魚川−静岡構造線」や「中央構造線」を正確に定義しており、前者は「諏訪解説」、後者は「鳴門解説」と名づけられ、今回のスペシャル版でも紹介されていた。
ここで改めて「構造線とは何か?」を復習しておく。放送では、 ●構造線とは「地質の大きな境界」、その多くは断層になっている。日本には60以上の構造線がある。 と説明されていた。ウィキペディアには、 構造線(こうぞうせん, Tectonic Line)とは、地層群同士または地塊同士の境界、つまり地体構造の境界線を指す、地質学の用語。地層の不連続部分である断層の一種。活動していないものも多数存在するので、活断層とは限らない。というより詳しい説明があり、主な構造線が挙げられていた。 フォッサマグナの西端が「糸静線」であることは確かだが、東端がどこにあるのかは諸説があるという。ナウマンの考えたフォッサマグナはかなり幅の狭いもので新潟県直江津と神奈川県平塚を結ぶ東端を推測していたが、現在では、新潟県の村上のあたりから新発田、湯沢のあたりを経由し、利根川の流域から銚子の南のあたりに達するという説が有力になっているという。東端がなかなか確認できないのは、関東平野にたくさんの土砂が堆積しているため、もともとの断層が地表に現れにくいことにあるらしい。それにしてもずいぶんと幅の広い溝である。 後半で取り上げられた中央構造線は、霞ヶ浦北浦のあたりから諏訪湖(ここでフォッサマグナと交差)、渥美半島から伊勢、紀ノ川、淡路島南岸、吉野川北岸、佐田岬半島、佐賀関半島あたりを通っており、それより西は活火山の噴出物に埋もれてはっきりしていないようである。 フォッサマグナと中央構造線が別物であるとすると、どちらが先にできたのかが気になるところだが、こちらの記事によれば、中央構造線は諏訪湖で糸静線と交差してぷっつり途切れてしまうことから、中央構造線のほうが先に存在していたようであった。もっとも中央構造線には、古期中央構造線とか新期構造線というのがあるらしく、また今回の放送でも取り上げられていたように、横ズレ運動のほか、日本海側の部分が太平洋側に乗り上げるようなズレが起こったという説ももあり、地学の教科書では両方の説が紹介されているらしい。 放送の終わりのあたりでは、日本誕生神話に関連して淡路島が「はじまりの島」、沼島が「おのころ島(オノゴロ島)」であるという説が紹介された。また、タモリさんは、中央構造線上には豊川稲荷、伊勢神宮、高野山といった聖地があり、何かを感じさせるものがあったとも指摘しておられた【ウィキペディアでは、諏訪大社上社前宮・香取神宮も挙げられていた】。 もっとも、神話がまとめ上げられる段階、あるいは神社が作られる段階で中央構造線の知識があったとは到底考えられない。1つの可能性は、ウィキペディアにも記されているように、これまで活断層が多くの地震を引き起こしたのでその被害を鎮魂するため、またそこを聖域として人々が住まないようにしているというもの。それ以外に考えられそうな点としては、
|