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8月18日から「おかやまプレミアム付食事券」の販売が始まった。1冊1万円で12000円分が使えるという企画であり、国が以前に実施した「GpToイート」と異なって岡山県が独自に発行するものであるという。
気になったのは、現時点では登録店のリストに、スシローやくら寿司が含まれていないことだ。いっぽう、地元を本拠とする海都(マリンポリス)や、函館市場は店舗は含まれていた。また、うどんで有名な丸亀製麺は含まれていない。 もしかして、岡山に本部が無いと登録できないのかと思ったが、広島県福山市に本部を置くすし丸は登録されていた。 いずれにせよ、我が家の外食先はスシローかくら寿司にほぼ限定されているので、これらの店が登録されないとプレミアム付食事券を購入しても使い道が無い。 |
【連載】チコちゃんに叱られる!「自由研究」 8月19日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
さて2.の自由研究の話題だが、放送では「自由研究は4年で消えた幻の教科」であると説明された。放送によれば、「自由研究」は1947年に出された学習指導要領では小学校4年〜6年までのあいだ、毎週2時間から4時間行うことが定められていた。戦後の「経験主義教育(じっさいに経験しながら学ぶ)」の考え方に基づいてできた教科であり、他の授業で興味を持った、社会に出てからも役立つことを子どもたちの個性に合わせて経験するという内容になっていた。しかし4年後の1951年の学習指導要領では姿を消した。その理由としては、
しかし、子どもにいろいろな経験をさせたい、興味を深めてほしいという思いから夏休みの課題として存続した、ということであった。放送では、「ママを救う献立スロットマシン」や、「宿題を最後の日まで残しておいた時の家族と自分の反応」を日記帳に記すといったユニークな自由研究が紹介されていた。 以上の放送内容から推定すると、小学校の教科としての自由研究に取り組んだのは、1947年〜1950年の間に10歳〜12歳前後であった世代に限られているようだ。2022年からは72〜75年前のことなので、現在は82歳〜87歳という年代となる。この世代に限って、高齢者施設入居後も自由研究が好まれているとしたら何らかの成果であると言えるが実際はどうだろうか。 ちなみに私は1952年生まれなので、自由研究という教科はすでに消滅していた。また夏休み前には特に指示された記憶は無いのだが、9月の登校時には、何らかの工作とか、観察記録などを風呂敷に包んで持参する習慣があった。それらの作品は教室の後ろテーブルや、別室に一定期間展示された。 放送内容から話題が逸れるが、私が小中学校の頃に習った教科と今の小中学生が習っている教科では他にもいろいろと違いがあるようだ。1つは中学校の技術家庭であり、リンク先にもある通り、当時は男女別授業で、男子は「木材加工、金属加工、栽培、機械、電気、総合実習」、女子は「家庭工作、家庭機械、調理、被服制作、保育」というように内容が異なっていた。この男女別授業は1989年以降は男女共通に変更されたようだが、当時はまだまだ「男は理工系、女は料理・被服・保育」といった考えが根強く残っていたようである。 次回に続く。 |