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モロッコ・アイト・ベン・ハドゥの写真を「まるでイラスト」アプリで加工した画像【上】。元の写真は下。
私が行った操作は、輪郭線の濃さ、階層のエッジ、影の大きさ、色の濃淡の設定だけであるが、これをもって私の作品と言えるのかどうかは分からない。元の写真は私が撮影したものであるが、これも風景にカメラを向けてシャッターを押しただけであって、被写体を創り上げたわけではない。↓の記事参照。 |
【小さな話題】AIが創り出す絵や音楽と、芸術家、モデル、俳優の将来(2)芸術作品の文脈的価値、AI俳句 昨日に続いて、12月12日(月)のNHK「ニュースLIVE! ゆう5時」で取り上げられた、 ●特集「AIで簡単に絵が描ける」 最新事情と課題 についての感想・考察。 昨日の終わりのところで私自身の基本的な考え方を述べた。この考え方はあくまで暫定的なものであって、今後のAIの更なる進歩によって変わるかもしれない。もっとも、私自身もそれほど長生きできるわけではないので、常に暫定的な見解を示すのみであり、最終的な結論には至らない可能性が大きい。
上記のうち、1.については特に追加の説明は不要かと思う。これはスキナーの考え方にヒントを得たものであり、要するに、いかに「独創的」であるような作品であっても、あるいは科学的な新理論であっても、ある日突然、降って湧いたように生まれるものではない、その根底には、その人の個人体験の歴史(強化履歴)、そしておそらく関係フレームが関与しているというものである。 2.の「芸術作品の価値は文脈に依存する」は、 芸術的価値=普遍的価値+文脈的価値 という意味である。【上記の数式は、もしかすると「芸術的価値=普遍的価値×文脈的価値」というかけ算になるかもしれない】 このうち「普遍的価値」というのは、時代や文化の枠組みを超えて「美しいものは美しい」と評価されるようなものだ。もっともこれも「地球環境」という文脈に縛られており、別の天体に住み、人間と違った形をしている宇宙人から見れば美の基準は変わってくるに違いない。 「芸術的価値=普遍的価値+文脈的価値」というのは、音楽についても言える。曲の美しさ、素晴らしさというのは一定の普遍性がある。これは、音楽が、人間の神経構造や、時間軸上での情動反応の起こり方に普遍的な影響を及ぼしているためと考えられる。例えば、私が好きな曲の1つにハイケンスのセレナーデがある。この曲の素晴らしさは、作曲者が誰であっても、あるいはどういう経緯で曲が作られたのかにかかわらず素晴らしい。いっぽう、ウィキペディアによれば、作曲者のジョニー・ハイケンスについては、 ハイケンスは、ナチスの忠実な支持者であった。新聞紙上などでアドルフ・ヒトラーを賞賛し、ユダヤ人や黒人に対する人種差別的な見解を表明していた。ハイケンスは、第二次世界大戦の終結後までドイツで演奏家として活躍していたが、戦争末期にオランダに帰国後、連合軍にナチス・ドイツに対する協力的な姿勢を問われて、ヒルフェルスムの監獄に収監され、間もなくして獄中にて死去した[2]。60歳没。などと紹介されている。これにより、「ナチスの支持者が作曲した曲は嫌いだ」という人もいれば、私もその一人だが、「寝台列車に乗って旅をした時を思い出す」という人も出てくるだろう。これらはすべて「文脈的価値」となる。 文脈的価値に大きく影響されると思われるものに俳句がある。俳句は原則として五七五という3つの文節を組み合わせて作ることができるので、今の時代の高性能のコンピュータを使えば、日本語の5文字と7文字のあらゆる文節を組み合わせた上で、文法上意味のある結果だけを残せば、制作可能なあらゆる俳句が作れるはずである。あるいは、これまでに作られた多数の俳句をAIに学習させて評価するという最新の方法を取り入れることもできる。 ネットで検索したところ、こちら(httpsでエラーが出てもそのまま続行)にAI俳句協会というのがあり、すでにAIが作成したすぐれた作品が紹介されていた。もしAIが作成した俳句に著作権があるとすると、この先、生身の人間が「創作」したはずの作品と同一のものがAI俳句集ですでに発表されていて著作権侵害とみなされてしまう恐れもある。 しかし、だからと言って、人間が俳句を作ることが無意味になるわけではない。あくまで個人的な考えであるが、私は俳句の芸術的価値は大部分が文脈的価値にあると思っている。つまり、その作者がどういう背景や経緯でその俳句を作ったのかという文脈とセットにして作品を鑑賞するのである。例えば、「行く春や近江の人と惜しみける」は、文法的な正しさから言えば「行く春や丹波の人と惜しみける」でも「行く春や備前の人と惜しみける」としても変わらないが、「近江の人」には特別の文脈的価値があると評価されている。同じく「菜の花や月は東に日は西に」も、「卯の花や月は東に日は西に」としても「菜の花や月は南に日は西に」と書き換えても文法的には正しいが、こちらによれば、 蕪村が、現在の神戸市灘区にある六甲山地の摩耶山(まやさん)を訪れたときの句です。菜の花の時期、西の空に夕日が沈むころ、空は茜色、摩耶山から見下ろす一面の黄色い菜の花、同時に見える月と太陽…穏やかに暮れゆく春の色と香りと空気感、さらには、月と太陽と大地と作者が一体化する瞬間が感じられる句です。と解釈されている。もっともリンク先に記されているように、この句が詠まれたとされる1774年3月23日は実際には東の空には満月は出ていなかったという。なので「蕪村は実際に旧暦の3月23日に、東に満月、西に夕日を目にしてこの俳句を詠んだのではなく、その10日くらい前に見た光景を思い出しながら、3月23日にこの句を詠んだのではないかといわれています。」と言われている。ということで、この俳句は、蕪村の感動体験を即時にしたためたのではなく、もしかしたら「菜の花が一面に広がる夕暮れ時、もし東の空に満月がでてきたらさぞかし素晴らしいだろうなあ」という想像と期待を込めて詠んだという可能性もある。ま、それでもちゃんと文脈的価値があるゆえ、現在でも高く評価されているのであろう。 次回に続く。 |