じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 2月17日、奉還町商店街から「こどもの森」までウォーキングをした【2月21日の楽天版参照】。こどもの森には、規模の大きな「石庭」があるが、今回初めて、これらの石が単に景観を構成するばかりではなく、岡山県内の石の標本展示であることに気づいた。


2023年2月18日(土)



【小さな話題】テレビ放送70年「おかあさんといっしょ」から見るこども番組(2)

 昨日に続いて、 2月11日(土)にNHK-Eテレで放送された表記の番組についてのメモと感想。まず、昨日の日記で、『おもちゃのチャチャチャ』、『北風小僧の寒太郎』、『だんご3兄弟』という3曲が『おかあさんといっしょ』とどのように関係しているのか、ウィキペディアの記事を引用させていただいた。放送ではこれらを含めて25曲が挙げられていたので、その中で私のよく知っている『ぞうさん』、『サッちゃん』、『いぬのおまわりさん』、『おなかのへるうた』、『アイアイ』、『一ねんせいになったら』『オバケなんてないさ』について、さらに由来を調べてみることにした。いずれも引用元かあの抜粋。一部改変あり。
  • ぞうさん
     1951年に酒田冨治の依頼により書かれたもので、1952年に酒田冨治により2拍子の曲が付けられた。その翌年1953年、曲を聴いた佐藤義美が曲を気に入らず、團伊玖磨に再度曲をつけさせたものがNHKラジオの『うたのおばさん』で放送された。その歌詞は自らのもつ差異を肯定し、誇りとするものとされている。
     『まど・みちお――「ぞうさん」の詩人』(河出書房新社)によれば、子ゾウが悪口を言われた時の歌である、と。他の動物から見たら、鼻が長い君はおかしい。しかし、子どものゾウは、しょげたり怒り返したりせず、「大好きなお母さんも長いのよ」と朗らかに切り返し、それを誇りにしている歌だという。
    まどは「ぞうさん」について次のように語っている。
    「『鼻が長い』と言われれば からかわれたと思うのが普通ですが、子ゾウは『お母さんだってそうよ』『お母さん大好き』と言える。素晴らしい」
    周南市徳山動物園には「ぞうさん」の歌碑がある
  • サッちゃん
     1959年10月10日に開催されたNHKラジオ「うたのおばさん」放送開始10周年記念リサイタル(主催:松田トシ)にて、新曲として発表された。作曲者の大中が自ら阪田に作詞を依頼して制作された。
    阪田が南大阪幼稚園で出会った一つ年上の幸子という少女が転園したときの思い出が元になっている。このことは該当人物に配慮したため長らく公表されず、質問された際は適当にごまかしていた。大中が阪田に「サッちゃん」のモデルについて尋ねたときには、「天王寺動物園にいるチンパンジーの名前」だと聞かされたという。
  • いぬのおまわりさん
    『チャイルドブック』1960年10月号で、迷路遊びの曲として中尾彰の迷路挿絵とともに発表された。同誌別売のソノシートが初録音である。この挿絵に描かれている「犬のおまわりさん」の犬種はコリーであり、また歌詞とは異なり子猫は泣いていない。当時の子供の歌としては歌詞が長過ぎると、編集長が歌詞の修正を求めたが、作詞者の佐藤が拒否したためそのまま掲載されたというエピソードがある。
    1961年10月10日に初めてNHKの『うたのえほん』で流され、この曲はさらに広まった。後継番組の『おかあさんといっしょ』でも定番曲として流れている。
  • おなかのへるうた
     初出は、カワイ楽譜の雑誌『チャイルドコーナー』1960年10月号(創刊号)。
    『みんなのうた』では1962年8月-9月に放送。歌はフレーベル少年合唱団。
    当初、NHKが歌詞中の「かあちゃん」が童謡に相応しくない下品な表現だとして採用を見送ったため、「おかあさま」など上品な言葉への変更が検討された。ちなみに、阪田家の子供は両親を「とうちゃん」「かあちゃん」と呼んでいた。
  • アイアイ
     「アイアイ」は1962年発表の相田裕美作詞・宇野誠一郎作曲の童謡。マダガスカルに生息する原猿アイアイについて歌った歌である。
    作詞者の相田裕美は、可愛い動物の歌を頼まれた際にアイアイという猿がいることを知り、名前が可愛いため、図鑑で見た特徴をそのまま歌詞とした。彼女はこの動物がマダガスカルでは「悪魔の使い」として気味悪がられていることや、アイアイの名前が現地人がこの動物を見て上げた驚きの声に由来することを知らなかった。そのため、現地においてもその不気味さから不吉な動物として忌み嫌われているアイアイが、遠く離れた日本では明るい曲調の童謡で親しまれることとなった。
  • 一年生になったら
    1966年に発表された童謡である。作詞はまど・みちお、作曲は山本直純。日本音楽著作権協会のデータベースによると、楽曲としての正式タイトルは表記の通りであるが、後述の2011年に刊行された絵本のタイトルは「一ねんせいになったら」である。
  • お化けなんてないさ
    作詞:槇みのり、作曲:峯陽による日本の童謡。弘田三枝子の歌により1966年にNHKの番組『みんなのうた』で『オバケなんてないさ』というタイトルで放送された。また森晴美の歌により、同じくNHKの『おかあさんといっしょ』(うたのえほん)で放送された。
というようになっていた。いずれも『おかあさんといっしょ』の中で歌い継がれてきた名曲であることは確かだが、『北風小僧の寒太郎』や『だんご3兄弟』と異なり、必ずしも『おかあさんといっしょ』のオリジナルナンバーとして登場したわけでは無さそう。
 さて、放送内容に戻るが、1960年代後半から1970年代初頭にかけての高度経済成長の中で、民放各社が人気子ども番組を次々と制作するようになった。放送で挙げられたのは『ウルトラマン』、『仮面ライダー』などの特撮もの。また、幼児向けにはママとあそぼう!ピンポンパン(1966年10月3日から1982年3月31日まで、フジテレビ系)やロンパールーム(1963年10月7日から1979年9月28日まで、日本テレビ系)などが放送され、『おかあさんといっしょ』の視聴率に陰りが見られたという。さらに、『おかあさんといっしょ』の元ディレクターの平間豊子さん(1971年入局)によれば、それまでの『おかあさんといっしょ』は幼稚園に入る前の4〜5歳児をずっと対象としていたが、高度経済成長でお母さんたちが働きに出るようになったり、3年保育化が増える中で、4〜5歳児が在宅でこの番組を視る機会が減ってきた。
 これに対処するため、NHKでは1979年、「2歳児テレビ番組研究会」を立ち上げ、発達心理学者などの専門家を招請して、2歳児がテレビにどのような反応を示すのか、徹底的な検討が行われた。その時の貴重な映像が1985年3月に放送された「テレビは幼児に何ができるか」という番組の中に残されている[]。研究会には、ディレクターの一色伸夫、平田豊子のほか、無藤隆、内田伸子、白井常といった著名な心理学者、教育工学が専門の坂元昂、児童文学研究者で童謡歌手でもある小鳩くるみ、リサーチャーの菊田怜子、雑誌編集者の阿部敬悦などが参加していた【いずれも敬称略】。
紹介された会議室の机上には灰皿が置かれ、男性1名がタバコを吸っていた。密閉された室内でタバコを吸うのはもってのほかだと思ったが、当時はまだ副流煙の有害性が理解されておらず、会議中の喫煙が許容されていた時代であった。
 この研究会では、2歳児がどのような番組に興味を示すのかという注視率実験が行われた。中でも最も検証を重ねたのがヨガのポーズを取り入れた「ハイ・ポーズ」のコーナーであった。テスト映像の中には、カルト宗教の教祖のようなヒゲを蓄えた男性インストラクターがポーズをとるものもあったが、1年以上かけた8パターンの比較検証の結果、「ヒゲが怖い」、「男性版より女性版」、「シンプルな背景」、「長さは2分半が有効」といった結果が得られ、馮智英さんの出演が決まった。なお馮智英さんは1994年4月2日をもって、『おかあさんといっしょ』を卒業。パイロット版を含めると在任期間は14年におよび、歴代身体表現のおねえさんの中では最長となった。私の家でも、ちょうど子どもたちが視聴していた時期に馮智英さんが登場しており、お馴染みのコーナーであった。
 2歳児研究会の成果として誕生したコーナーには、このほかに「はみがきじょうずかな」、「パジャマでおじゃま」、「こんなこいるかな」、「しりとり」などがあるという。

 番組の終わりのところでは、元号が昭和から平成に変わり、『おかあさんといっしょ』の内容も変わっていった。1999年に40周年を迎えた時の改訂では、古屋プロデューサーにより、新たに外部クリエーターとして佐藤雅彦さんが迎え入れられた。ご自身のインタビューでは、ブーフーウーの影響を受けたことなどが語られた。その中で大ヒットしたのが『だんご3兄弟』であった。古屋・佐藤コンビによる名物番組としては『ピタゴラスイッチなどがあるという。『おかあさんといっしょ』から派生した番組には他にも『えいごであそぼ』、『ひとりでできるもん!』、『ハッチポッチステーション』、『いないいないばぁっ!』、『にほんごであそぼ』、『みいつけた!』などがあり、子どもたちの成長・発達を支えているようである。