Copyright(C)長谷川芳典 |
※クリックで全体表示。 |
2月17日、奉還町商店街から「こどもの森」までウォーキングをした【2月21日の楽天版参照】。こどもの森には、規模の大きな「石庭」があるが、今回初めて、これらの石が単に景観を構成するばかりではなく、岡山県内の石の標本展示であることに気づいた。
|
【小さな話題】テレビ放送70年「おかあさんといっしょ」から見るこども番組(2) 昨日に続いて、 2月11日(土)にNHK-Eテレで放送された表記の番組についてのメモと感想。まず、昨日の日記で、『おもちゃのチャチャチャ』、『北風小僧の寒太郎』、『だんご3兄弟』という3曲が『おかあさんといっしょ』とどのように関係しているのか、ウィキペディアの記事を引用させていただいた。放送ではこれらを含めて25曲が挙げられていたので、その中で私のよく知っている『ぞうさん』、『サッちゃん』、『いぬのおまわりさん』、『おなかのへるうた』、『アイアイ』、『一ねんせいになったら』『オバケなんてないさ』について、さらに由来を調べてみることにした。いずれも引用元かあの抜粋。一部改変あり。
さて、放送内容に戻るが、1960年代後半から1970年代初頭にかけての高度経済成長の中で、民放各社が人気子ども番組を次々と制作するようになった。放送で挙げられたのは『ウルトラマン』、『仮面ライダー』などの特撮もの。また、幼児向けにはママとあそぼう!ピンポンパン(1966年10月3日から1982年3月31日まで、フジテレビ系)やロンパールーム(1963年10月7日から1979年9月28日まで、日本テレビ系)などが放送され、『おかあさんといっしょ』の視聴率に陰りが見られたという。さらに、『おかあさんといっしょ』の元ディレクターの平間豊子さん(1971年入局)によれば、それまでの『おかあさんといっしょ』は幼稚園に入る前の4〜5歳児をずっと対象としていたが、高度経済成長でお母さんたちが働きに出るようになったり、3年保育化が増える中で、4〜5歳児が在宅でこの番組を視る機会が減ってきた。 これに対処するため、NHKでは1979年、「2歳児テレビ番組研究会」を立ち上げ、発達心理学者などの専門家を招請して、2歳児がテレビにどのような反応を示すのか、徹底的な検討が行われた。その時の貴重な映像が1985年3月に放送された「テレビは幼児に何ができるか」という番組の中に残されている[※]。研究会には、ディレクターの一色伸夫、平田豊子のほか、無藤隆、内田伸子、白井常といった著名な心理学者、教育工学が専門の坂元昂、児童文学研究者で童謡歌手でもある小鳩くるみ、リサーチャーの菊田怜子、雑誌編集者の阿部敬悦などが参加していた【いずれも敬称略】。 [※]紹介された会議室の机上には灰皿が置かれ、男性1名がタバコを吸っていた。密閉された室内でタバコを吸うのはもってのほかだと思ったが、当時はまだ副流煙の有害性が理解されておらず、会議中の喫煙が許容されていた時代であった。 この研究会では、2歳児がどのような番組に興味を示すのかという注視率実験が行われた。中でも最も検証を重ねたのがヨガのポーズを取り入れた「ハイ・ポーズ」のコーナーであった。テスト映像の中には、カルト宗教の教祖のようなヒゲを蓄えた男性インストラクターがポーズをとるものもあったが、1年以上かけた8パターンの比較検証の結果、「ヒゲが怖い」、「男性版より女性版」、「シンプルな背景」、「長さは2分半が有効」といった結果が得られ、馮智英さんの出演が決まった。なお馮智英さんは1994年4月2日をもって、『おかあさんといっしょ』を卒業。パイロット版を含めると在任期間は14年におよび、歴代身体表現のおねえさんの中では最長となった。私の家でも、ちょうど子どもたちが視聴していた時期に馮智英さんが登場しており、お馴染みのコーナーであった。 2歳児研究会の成果として誕生したコーナーには、このほかに「はみがきじょうずかな」、「パジャマでおじゃま」、「こんなこいるかな」、「しりとり」などがあるという。 番組の終わりのところでは、元号が昭和から平成に変わり、『おかあさんといっしょ』の内容も変わっていった。1999年に40周年を迎えた時の改訂では、古屋プロデューサーにより、新たに外部クリエーターとして佐藤雅彦さんが迎え入れられた。ご自身のインタビューでは、ブーフーウーの影響を受けたことなどが語られた。その中で大ヒットしたのが『だんご3兄弟』であった。古屋・佐藤コンビによる名物番組としては『ピタゴラスイッチなどがあるという。『おかあさんといっしょ』から派生した番組には他にも『えいごであそぼ』、『ひとりでできるもん!』、『ハッチポッチステーション』、『いないいないばぁっ!』、『にほんごであそぼ』、『みいつけた!』などがあり、子どもたちの成長・発達を支えているようである。 |