じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 4月12日の岡山は黄砂飛来により霞んでいた。写真左上と左下は半田山植物園の展望台から眺める岡山市内。4月12日は遠くの景色が見えにくくなっていることが分かる。
 なお、黄砂とPM2.5は分布が異なるようである。画像の右上は黄砂、右下はPM2.5の4月13日09時の飛来予想。Bingに、

日本列島に黄砂が飛来していますが、黄砂の飛来予想と、PM2.5の予想では飛来する量の分布が異なっているようです。どのような違いにが原因になっているのでしょうか?

と質問したところ、
黄砂とPM2.5は、どちらも空気中に存在する小さな粒子ですが、違いがあります。
黄砂は、砂漠から風に乗って飛来した砂や鉱物粒子を指します。
PM2.5は、大気に浮遊する粒径2.5μm以下の粒子状物質の総称です。
黄砂でも2.5μm以下であれば、PM2.5に該当しますが、PM2.5は黄砂以外にも硫酸塩や硝酸塩、カーボン系の物質などが含まれます。
黄砂とPM2.5の飛来する量の分布が異なるのは、風向きや気圧配置、発生源や化学組成などの要因によると思われます。
という回答をいただいた。さらに、

黄砂よりPM2.5のほうが健康に悪影響を与えると言ってよいでしょうか?

と尋ねたところ、
黄砂とPM2.5は、どちらも呼吸器系への影響がありますが、PM2.5のほうが健康に悪影響を与える可能性が高いと言われています。
PM2.5は、粒子の大きさが小さく、肺の奥まで入り込んで炎症やアレルギー反応を引き起こすことがあります。
また、PM2.5には黄砂以外にも有害な物質が含まれている場合があり、心臓や血管などの循環器系にも影響する可能性があります。
黄砂とPM2.5の健康への影響は、個人差や気象条件などによっても変わると思われますので、注意が必要です。
という回答をいただいた。

 妻の実家のある北九州では、毎日のローカルニュースでPM2.5の観測値や予測が伝えられていたと記憶しているが、岡山もなぜかPM2.5が滞留しやすい地域となっている。黄砂ばかりでなくPM2.5の飛来にも注意が必要かと思う。


2023年4月13日(木)



【小さな話題】サブカルチャー「無縁度」を点検する(その1)

 少し前のことになるが、NHK-BSPで、2023年3月4日から3月25日まで4回にわたり、

シーズン3 日本 逆説の60-90s

が放送されていた。このうち第1回は見逃してしまったが、第2回の70年代、第3回の80年代、第4回の90年代はしっかり録画し視聴することができた。私にとっての70年代、80年代、90年代は、ざっくりまとめると、
  • 1970年〜1979年:高校3年〜大学院DC【京都での生活】
  • 1980年〜1989年:研修員、就職、結婚、子育て【長崎での生活5年間】
  • 1990年〜1999年:【1991年以降は岡山での生活】
となっているが、私自身はほとんどサブカルチャーとは無縁の生活を続けてきた。

 まず、ウィキペディアで『サブカルチャー』の定義を調べてみると、
サブカルチャー(英: subculture)とは、メインカルチャーと対比される概念である。1960年代から70年代前半までは反体制的なカウンターカルチャーが主流だったが、70年代後半以降、形骸化・商業主義化し、サブカルチャーに変質していったとの見方もある。サブカルチャーは「サブカル」と略されることも多い。
主流文化に対し、一部の集団を担い手とする文化を指す用語で、副次文化ないし下位文化とも訳される。用語の起源は1950年に社会学者のデイヴィッド・リースマンが使用したのが最初である。意味は「主流文化に反する個人のグループ」というもの。アメリカではこの場合の「サブ」とは、社会的マジョリティの文化・価値観から逸脱した、エスニック・マイノリティやLGBTといった「少数派集団」のことを指している。また、サブカルチャーは、「マス・メディアの商業主義文化」とは異なる文化財、アート、価値観、行動様式など、本来の「文化」に近いものを指す。
となっていた。
 私自身はサブカルチャーはもちろん、メインカルチャーにも無縁な生活を続けてきたが、そうは言っても、生活を続けていく上では、新しい技術に依拠せざるを得ないところはある。それらを利用して何かに熱中したとしても、それは私自身が勝手に始めたことにすぎない。どこぞの社会学者や批評家各位が、世間のさまざまな現象のうちで主観的に興味をひいたもの、あるいは世間で人気となった現象だけに注目してこれはサブカルチャーだと論じたところで、世の中すべてを把握したとは言えない。ま、どの時代でも人々の生活は多種多様であり、「それぞれの時代の特徴」とされているものは実際には、古文書から読み取れるような一部の特権階級の生活ぶり、あるいはそれぞれの時代の識者が興味をひいた特異な風習などに限られているのではないかという気がする。なので、「○○年代にはこういうことがあった。」というように史実を列挙することができたとしても、その出来事が当時の人々にどの程度の影響を与えていたのかを論じることは難しい。どこぞの社会学者や批評家各位が取り上げているような社会現象は、当時の社会に生きる人々のごく一部を誇張しているだけに過ぎない可能性がある。

 ということで、まず、1970年代の出来事等について、私自身とのかかわりを
  • ◎:かなりの程度まで知っている。
  • ○:ある程度知っている。
  • △:名前を聞いたことがある程度
  • ×:全く知らない。今回初めて聞いた。

というように分類してみた。但し、以下の項目は必ずしもサブカルチャーとは関係の無い出来事を含んでいる。
  • × 『モーレツからビューティフルへ』
  • ◎ 『歩行者天国』
  • ◎ 日本万国博→会場には行っていない。
  • ◎ よど号ハイジャック事件
  • ◎ 三島事件
  • × 『書を捨てて街へ出よう』
  • ○ 力石徹告別式
  • △ 『赤ずきんちゃん気をつけて』
ここまでのところで◎印をつけたのは『サブカルチャー』そのものではなく、それぞれの経緯や社会背景はそれぞれ異なっているように思う。それらの影響を受けた何らかの『サブカルチャー』が派生した可能性はあるだろうが。

 次回に続く。