じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 岡大・文学部の西出入口脇でルドベキアが咲き始めた。毎年、見頃となった頃に刈り取られてしまうが、多年草であるため、逆に他の雑草を駆逐して勢力を維持している。このほか、同じ場所にはエキナセア(ムラサキバレンギク)も繁茂しており、草刈が行われなければまもなく開花する見込み。


2023年6月28日(水)




【小さな話題】ありえへん「昭和世代vs令和世代」

 6月27日の夜にテレビの電源を入れたところ、TV東京系のテレビせとうちで、

●『『昭和世代vs令和世代! “ヤバい昭和の流行”懐かし映像満載

が放送されていた。なお、私が視始めたのは19時50分頃からであったが、放送自体は18時25分からとなっていた。TVでた蔵で、視聴できなかった時間帯に取り上げられた内容をチェックしたが、前半部分は衝撃映像などの別内容になっており、ちょうど私が電源を入れた時間帯からが本題となっていた。なので、本題に関しては特に見逃し部分は無かったと言える。
 民放のバラエティ番組は、しばしば誇大化、やらせがあったり、CMのあとに先延ばしするような勿体ぶりがあったりしてあまり好きではないのだが、今回はそう言えばそんなこともあったなあという懐かしさもあって、最後まで視てしまった。以下、気づいた点を箇条書きにしておく。
  • ビデオテープ VHS vs ベータマックス
     この話題はプロジェクトXの第2話『窓際族が世界規格を作ったVHS・執念の逆転劇』(2000年4月4日初回放送)の再放送を通じてある程度知っていた。我が家では、最初に購入したビデオカメラがSONY製であった以外はすべてVHSやVHS-Cに統一していた。定年退職後には、VHSに録画してあったホームビデオや、希少価値のあるTV番組はDVDやBDに移し替え、元のVHSテープや録画再生機はすべて廃棄した。ホームビデオに撮影されていた動画と、最近LINEを通じて送られてくる孫たちの動画を見比べると、そっくりの動作があったりしてなかなか面白い。

  • カセットテープ
     私自身は音楽に興味が無かったので手持ちのテープは数十巻程度であったが、必要に応じてデジタルファイル(mpeg3)に移し変えた上で廃棄している。最も古い録音としては、私の祖父が古希を迎えた時に親族一同が集まってお祝いをした時のものがあった。それから60年以上が経過し、私自身も古希を迎えてしまった。

  • 高額な長距離電話料金
     これは私も実感していた。いまはLINEのビデオ通話なので無料。スマホの電話もRakuten Link経由なので無料となっている。例外的にナビダイヤル経由で相談窓口に電話をかける場合であるが、いつ電話してもたいがいは「ただいま電話が大変混み合っています。もう一度おかけ直すか、そのまましばらくお待ちください」といった自動音声が流れて、5分以上、時には10分以上、電話料金ばかりとられて待たされることがあり、腹が立つばかりだ。

  • 風邪をひいた時の「桃の缶詰」
     これは私自身も記憶がある。放送によれば、昭和40年頃の桃の缶詰の値段は110円、今の物価に直すとおよそ1300円になるという。なのでお歳暮などで貰った缶詰は戸棚に入れて保管し、特別の時に食べることになっていた。放送でも紹介された株式会社サンヨー堂は今でも缶詰を作っているようである。
     ローマ字を習った頃、ブランドマークの『SUNYO』がなぜ「サンヨー」になるのか疑問に思っていた記憶がある。
     放送でも説明されていたように、その後、フルーツが安価で手に入るようになり、ゼリーやヨーグルトなどが普及したことで、桃の缶詰は定番ではなくなっていった。我が家でも、フルーツに限らず缶詰を購入することは殆ど無い。1つの理由は、缶詰は資源ゴミであるため、廃棄(回収)に手間取ることが挙げられる。
     余談だが缶詰で好物であったのは、馬肉入り・発色剤使用を承知の上で買ったコンビーフの缶詰と、捕鯨反対運動を承知の上でも今なお食べてみたいクジラの大和煮の缶詰であった。

  • ツツジの蜜を吸う
     私も自宅の庭にあったオオムラサキツヅジ(ヒラドツツジ)の蜜を吸った記憶はあるが、そんなに頻度は多くなかった。レンゲツツジの蜜には毒性があるというが、そもそもそのような品種は見たことが無い。

  • ラーメンの『なると』
     もともとは明治時代の『おかめそば』の具でありその後醤油ラーメンにも使われるようになったが、1990年〜2000年のラーメンブーム以降は『なると』を使うラーメンは減っていったという。

  • 英語の筆記体
     2002年に導入されたゆとり教育後、学校では筆記体を教えなくなったという。筆記体は本場アメリカでも殆ど使われていない。放送ではいまの若者は筆記体で書かれた「roppongi」や「obachan」を読めないという映像があったが、これはちょっとヤラセ、というか読めなかった場面だけを編集したのではないかという気もする。

  • 足掛けジャージ
     これは全く記憶が無い。中学・高校時代は白い「体操ズボン」を履いていたと思う。体操ズボンは、体育が終わると洗濯のため家に持ち帰ることがあった。次の体育の時間にそのズボンを持ってくるのを忘れたという夢を何度か見たことがあるが、じっさいには一度も忘れたことはなかった。

  • 白いブリーフ
     昭和時代、男性のパンツはみな白色で、他の人と間違えないために名前を書く人もいたという。この話題は、6月15日の日記でも取り上げたことがある。最近は衣料品を扱っているスーパーでも品揃えが無く困っている。
     放送によれば白いパンツ(正式には『ブリーフ』)は1935年にアメリカで生まれ世界中で大ヒット! 日本では1950年代に登場。その当時の日本人男性の下着は、ふんどしや猿股が主流であったが、その後30年間は白ブリーフの独占状態となった。しかし1980年代にはトランクス、1990年代にはボクサーパンツが登場し、その地位を奪われていった。グンゼの担当者によれば、ブリーフはシニア層を中心に今でも着用されており、カラーブリーフと合わせて全体の約15%ぐらいは履かれているという。私自身は子どもの頃から一貫して白ブリーフの愛用者。カラーのブリーフやトランクス、ボクサーパンツは汚れが見えにくいためそのぶん不衛生になるように感じる。

  • 昭和世代が初めて食べた時に… ”衝撃だった食べ物”
     放送では『ピザ』や『ハンバーガー』が挙げられていた。
    私自身が初めて食べた味として記憶に残っているのは、高校時代に食べた『味噌ラーメン』。注文した時は口に合わなかったらどうしようと不安だったが、美味しく食べることができた。このほか、いつが初めてだったか忘れたが『ジンギスカン』。最初に見たのは東京農大の大学祭の時であったがその時は食べず、後に自宅で作ってもらった。