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6月28日の岡山は、最高気温が31.9℃まで上がったものの13時過ぎにレーダー・アメダスで最強レベル(時間あたり80mm以上の降水)を示す紫色表示の雷雲が接近。14時15分には気温が22.7℃まで下がりこの日の最低気温となった。
激しい雨は短時間で終わったが、近くで落雷があり大音響が鳴り響いた。 |
【連載】映像の世紀バタフライエフェクト『ビートルズの革命』(1)ビートルズ誕生 NHK総合『映像の世紀バタフライエフェクト』で放送された、
まず、私自身にとってのビートルズであるが、年代的には近いものの、殆ど影響を受けたことが無かった。ビートルズのデビューは1962年10月5日、事実上の解散は1970年4月10日であるというが、これは私にとっては小学4年生から高校3年までの時期にあたる。中学・高校時代と言えば音楽の影響を受けやすい年齢であるとは思うが、私は、
ということで何でいまさらビートルズか?という気がしないでもないが、私自身もこの先そんなに長生きできるわけでもないので、今回の放送のメモをとるところで、私と同時代に活躍したビートルズが何であったのか、基本情報だけはおさえておくことにしたいと思う。 前置きが長くなったが、ここからは本題に入る。なおこの番組のタイトルには『バタフライエフェクト』という言葉が含まれているが、これは「ほんの些細な事がさまざまな要因を引き起こした後、非常に大きな事象の引き金になる」という意味であり、放送の中でも、ちょっとした偶然がビートルズ誕生の引き金になったというエピソードが満載されていた。 放送ではまず、2021年10月に打ち上がられたNASAの太陽系探査機『ルーシー』が紹介された。ルーシーは太陽系誕生の謎を解明するために10個の小惑星を探査、その後は数百年、数千年にわたって宇宙を彷徨うことになる。そのルーシーには世界を代表する偉人の言葉が刻まれた金属板が搭載されているが、その中にはビートルズ4人の言葉も刻まれている。そもそも『ルーシー』という名前自体がビートルズの曲名に由来している。ビートルズのレコードの売り上げは10億枚であり、この記録は未だに破られていない。その簡、世界最高の人気者であると同時に世界最先端のクリエーターであり続けたと評された。ビートルズはまたその奔放な言動を通じて、階級社会、人種差別、戦争にNOをつきつけ、大きな影響を与えた。 ビートルズの物語は1940年、ナチスドイツの空襲に見舞われていたリバプールで、ジョン・ウィンストン・レノンが生まれたことに始まる。父親は典型的な労働者階級である船乗りであったが、両親は離婚、ジョンは5歳の時に叔母の家に引き取られた。ジョンが生まれた2年後の1942年にはポール・マッカートニーが誕生。ポールの親も労働者階級であったが、14歳の時に母を失った。 リバプールには当時多くのアメリカ兵が駐在しており、アメリカの最新のレコードが入ってきた。中でも2人の心をつかんだのは黒人ロックンローラーのリトル・リチャードであり、代表曲の『ロング・トール・サリー(のっぽのサリー)』に大きな影響を受けた。 1957年7月6日、ジョンは友人たちと作ったバンド『クオリー・メン』でリバプールの教会で行われたイベントに出演した。ポールはこの日、ジョンの友人に誘われてこのイベントに参加、その後2人はお互いに演奏や歌を披露した。ジョンはポールの歌の完成度に驚きバンドメンバーに誘った。その翌年にはポールの友人であったジョージ・ハリソンが加わり、ビートルズメンバーのうちの3人が揃った。 以上までの所での『バタフライエフェクト』は、ジョンとポールの出会いであったが、さらに1960年にはもう1つの重要な幸運があった。それは第二次大戦後も続いていたイギリスでの徴兵が1960年に廃止されたことである。これにより、ジョン(20歳)、ポール(18歳)、ジョージ(17歳)はいずれも兵役を免れた。もしこの決定がもっと後になっていたら、全員陸軍の別の駐屯地に配属されていたはずで出会いは無かった。 1960年、3人は西ドイツ・ハンブルグに向かい3カ月にわたり武者修行を行った。しかしこの時はまだ革ジャン姿の粗野なバンドの1つに過ぎなかった。このバンドを一躍人気者に押し上げたのがリバプールの実業家ブライアン・エプスタインであった。エプスタインはリバプールでレコードショップを営む裕福な中流階級であった。客から頻繁にビートルズのレコードの問い合わせがあり自身でライブハウスに足を運び、一瞬のうちに心を打たれた。そのいっぽう彼らのステージ演出には物足りなさを感じ、マネージャーを名乗り出た。1962年にはハンブルグで知り合った腕利きのドラマー、リンゴ・スターが加わりここで4人が揃った。 次回に続く。 |