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【連載】映像の世紀バタフライエフェクト『ビートルズの革命』(3)絶頂期と抗議活動 6月30日に続いて、NHK総合『映像の世紀バタフライエフェクト』で放送された、
放送では続いて、1964年、ビートルズがアメリカから凱旋帰国したときの映像が紹介された。当時のヒューム首相は、 若い人たちのグループが政府には思いつかない手を編み出しました。イギリスは今年は外貨不足を免れたのであります。 とビートルズを感謝する演説を行った。1965年にはエリザベス女王から大英帝国勲章を授けられた。同じ勲章を受章した軍人などの中には勲章を返還する者もいた。これについてジョン・レノンは「彼らは人を殺して勲章を手に入れたけれど、僕たちは人を殺さずに手に入れたよ」と軽くやり返した。 こうしてビートルズは、世界からその一挙手一投足が注目されるモンスターのような存在になった。エプスタインはバンドを守るために彼らに政治的な発言をしないように求めていたが、1966年8月の記者会見ではベトナム戦争には反対であると表明した。 1966年6月の日本公演は武道館が会場となっていたが右翼団体の一部が激しく抗議、ビートルズ一行は身の安全のためホテルから一歩も外に出られなかった。1966年7月、続いて行われたフィリピンでも、大統領夫人のパーティーをビートルズが欠席したというだけで猛烈な抗議行動が起こった。1966年8月の北米ツアーでは、ジョン・レノンが新聞のインタビューで「ビートルズはキリストより有名」と何気なく発した言葉がキリスト教批判であると曲解され、大規模な不買運動や殺害予告が行われた。 1966年8月29日、4人はこの日のサンフランシスコ公演を最後のコンサートにしようと決めた。最後に演奏したのは、ジョンとポールを結びつけるきっかけとなった『のっぽのサリー』であった。 ポールは、 もし1957年にジョンに会えなかったら、バンドに加入するきっかけになった曲のコードを僕が知らなかったら、僕は小さなパブ・バンドで演奏していたかもしれない。ジョン、ジョージ、リンゴだってそうだったかもしれない。そして突然、僕らは選ばれし者となり、あらゆる自由への導火線に火をつけた。僕は、その導火線に火をつけた張本人は60年代という時代そのものであり、僕らはその一部にすぎなかったと思っている。でも、多くの人々にとってはビートルズこそがすべてだったんだ。と語ったという。 ここまでのところで6月12日放送分は終了した。番組タイトルでもある『バタフライエフェクト』によってジョンとポールが出会い、さらにマネージャーのエプスタインの巧みな演出によってビートルズは世界一のバンドへにのぼりつめた。しかし何事でもそうだが、絶頂期が続くといつかは飽きられ、さらにはちょっとした不手際に非難が集中し、頂点から引きずり下ろされるようになる。 なお、今回の放送のタイトルには、前半は『赤の時代』、後半は『青の時代』という言葉が含まれていたが、恥ずかしながらなぜそう呼ばれていたのか私は全く知らなかった。Bingに尋ねてみたところ、 ビートルズの『赤盤』と『青盤』は、それぞれ1962年から1966年までの前期の曲と、1967年から1970年までの後期の曲を収録したベスト・アルバムです1。なぜ色の名前で区別しているかは、ビートルズのレコード会社EMIが、ビートルズの音楽を「赤い」と「青い」2つに分けたことに由来しています3。『赤盤』は、ビートルズがデビューしてから1966年までに発表した楽曲が収録されており、『青盤』は、1967年から1970年までに発表された楽曲が収録されています1。という回答をいただいた。要するにジャケットの色が赤と青だったことに由来しているようである。 ところで、音楽にあまり興味の無い私ではあるが、それでも、「イエスタデイ(Yesterday)」、「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」「イエロー・サブマリン(Yellow Submarine)」、「レット・イット・ビー(Let It Be)」、「イマジン(Imagine)」などはタイトルを聞いただけでメロディーや歌詞の一部が浮かんでくる。このことでふと気づいたが、いま挙げた中の「イマジン(Imagine)」はビートルズの曲ではなく、ジョン・レノンがソロ活動を始めた後に発表された曲であった。ウィキペディアによれば、生前にレノンは、歌詞の一部がオノ・ヨーコの詩から拝借したことを明かしており、2017年に本作がオノとの共作であると認定された。 さらに、Bingに、 ●日本で流行したグループサウンズとビートルズの関係について教えてください。 と尋ねたところ、 グループサウンズは、ビートルズやローリング・ストーンズに代表されるロックブームに触発されて誕生した音楽ジャンルで、初期のGSのレコードは各レコード会社の洋楽レーベルから発売されていました。しかし、時をおかずに熱狂的ブームが起き社会現象化するにつれ、従来の歌謡曲と融合し、独自の美学を持ったジャンルとして定着していったそうです2。1966年、1967年頃のピーク時のレコード売り上げはビートルズを遥かに凌駕し、特に若い女性ファンたちの熱狂は現代のジャニーズファンと遜色なかったそうです2。 なお、ビートルズの演奏で使われていた楽器は、こちらによれば、楽器構成は、エレキギター2本、ベースギター、ドラムというロックンロール・バンドの基本的な楽器構成になっていたという。しかしいずれの楽器でも高度な奏法が使われているという。 次回に続く。 |