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【小さな話題】あなたの知らない京都旅「都のナンバーワン巡り」(2)信長の定宿、木彫立像、木魚、鐘、三門 昨日に続いて、昨年12月21日にBS朝日で放送された、 ●あなたの知らない京都旅〜1200年の物語〜「都のナンバーワン巡り 2時間SP」 という番組のメモと感想。 『国宝の古い建物』に続いて、織田信長の定宿Top3が紹介された。それによれば、
妙覺寺は斎藤道三と深い繋がりがあり、また道三の娘が織田信長の正室・濃姫であったことから定宿になっていたらしい。本能寺の変が起きた際、信長が定宿の妙覺寺ではなく本能寺に宿泊したのは、信長の息子の織田信忠が先に妙覺寺に詰めていたためらしい。 秀吉が定宿にしたのは、妙覺寺の近くにある妙顕寺であった。なお、秀吉は御土居とともに、町の中の寺院を強制移転させ、寺町で鴨川右岸、『寺之内』で北の守りを固めた。妙覺寺や妙顕寺はいずれも寺之内に移転した。 余談だが、私は学生・院生時代には烏丸鞍馬口の近くに下宿しており、鞍馬口通りの近辺は外食、サウナつき銭湯巡り、買い出し、家庭教師のアルバイトなどのために頻繁に行き来していたが、ほんの数百メートル以内の圏内にある現在の妙覺寺、妙顕寺は一度も訪れたことがなかった。やはりその場で生活するということになると、生活に必要なお店や銭湯などに注意が向いてしまい、反面、神社仏閣などには訪れる余裕がなくなってしまうものである。 続いて紹介されたのは、大きさナンバーワン3件であった。私自身はいずれも拝観したことが無かった。
次に紹介されたのは、寺に建つ高い門Top3であった。
次回に続く。 |