じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 3月15日に日テレ系で放送された『アーヤと魔女』のアニメをCM部分をカットしてダビングしようと「番組編集→部分消去」の作業を始めたところ、その中に『紅麹コレステヘルプ』のCMが含まれていることに気づいた。
 Bingに尋ねたところ、この食品に対して公式な対応がとられたのは3月28日であったようだ[]。4月3日5時00分配信のNHKニュースによれば、この食品を摂取して腎臓の病気を発症・入院した人は延べ166人、またこれまでに5人が死亡しているという。
追記]こちらの資料にあるように、最初の情報共有と事務連絡(参考資料1)は3月22日であったようだ。

 ちなみに、私自身はロスバスタチン系のジェネリックを長年にわたり服用しているが、定期的に診察&血液検査を受けており、副作用があっても早期に対応してもらえるはずだ。
 病院で処方された薬を服用する場合は国保の適用を受けるため、診療と薬局合わせて1日当たり15円で済む。診察を受けず、なぜこのような「健康」食品に頼ろうとするのか、私には分からない。


2024年4月3日(水)




【小さな話題】フロンティア『古代文明 同時崩壊のミステリー』と『海の民』仮説(2)寄せ集め集団、干ばつと飢饉

 昨日に続いて、2月15日に初回放送(された、NHK『フロンティア』、

古代文明 同時崩壊のミステリー

についてのメモと感想。

 昨日も記したように、今回の放送では、最新の科学技術を用いた分析により、文明同時崩壊の複合的な原因がいくつか明らかにされた。以下、どのような科学技術ががどのような解明に繋がっているのか、という観点から捉えていくことにしたい。
  • 『海の民』の存在と特徴
    • 紀元前1250年頃、ミケーネの人たちは明らかに何者かを恐れており強固な城砦を築いていた。にもかかわらず、紀元前1200年頃には崩壊。同時期にはトルコやシリアにあったヒッタイト文明も崩壊している。
    • ヒッタイト文明の中心にあった『ハットゥシャ遺跡』も強大な城砦に囲まれていた。1907年にこの遺跡で数千枚の粘土板が発見された。粘土板には彼らの営みや業績が記録されているが、紀元前1200年頃に突然、一切の記録が途絶えている。遺跡で発見された焼けた赤いレンガ層は、何者かがこの町に火を放ったことを示唆している。
    • 現在のシリアにあたる『ウガリト』にはかつて5万人が住んでいた。当時の王が他国に宛てて書いた粘土板の手紙には、何者かによって都市が焼き払われたことが記されている。
    • エジプトで最後の大きな権力を持ったとされるラメセス3世(紀元前1183〜1152年頃)の葬祭殿の壁には、当時のエジプトが『海の民』と戦っている様子が描かれている。そのレリーフによれば『海の民』たちは様々な服装や髪型をしており、戦うために集まった寄せ集め集団であることが示唆される。
    • 『海の民』が定住したとされるカナン(アシュケロン)で発掘された人骨について古代DNA解析を行ったところ、多くはカナンに古くからいる民族に由来、しかし一部はギリシャのミケーネ、さらにはもっと西の地域の出身者であり、全体としてバラバラであると推定された。
  • 干ばつと飢饉
    • 古代エジプトの領地にあった『アタロット洞窟』(現イスラエル)などで行われた過去の降水量の調査(石筍の「年輪」の幅や成分から推定)によれば、文明崩壊前に干ばつが起きていたことが推定された。
    • 他の研究(Kaniewski et al., 2015)からも、海の民が各地を襲っていた時期に激しい干ばつが起きていたことが分かった。
    • 古代エジプトの領土であったガリラヤ湖の近くで地中の花粉を分析したところ、樹木の花粉の割合が紀元前1200年頃に減少していたことが分かった(Langgut et al., 2013)。特に、その時期ではオリーブの花粉が殆ど検出されなかった。オリーブは当時から灯りの燃料や薬、食料として利用されており、紀元前1250年から約150年間、苦しい状況が続いた。
    • カルナク神殿のレリーフには、メルエンプタハ王の記録が残されている。そこには王がヒッタイトを援助する食料を送ったことが記されている。
    •  ウガリトで発見された当時の文書の中にも、エジプトの家族に向けて食料の緊急の援助を懇願する手紙があった。

 以上のように、最新の科学技術を用いた分析により、『海の民』の起源や特徴、さらに文明崩壊の時期に干ばつがあったことを示す証拠が揃うようになった。

次回に続く。