0 じぶん更新日記
じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



05月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。



 5月28日朝5時台のNHK「おはよう日本」で、

京の地名の不思議 東西と南北の通り、どっちが先?

という話題を取り上げていた。元ネタは5月17日配信のWEBマガジンであり、リンク先に詳細が記されている。要約・抜粋させていただくと【改変あり】、
  1. 京都市内の地名では、東西の通りが先になったり(四条烏丸)、南北の通りが先になったり(烏丸五条)と、ばらばらなように見える。
  2. NHK京都放送局のまわりで範囲を広げ交差点名を調べた。(西は堀川通、東は河原町通、南は五条通、北は丸太町通まで)。32か所の標識の内訳は、
    • 東西の通りが先になっていたのは12か所。
    • 南北の通りが先になっていたのは16か所。
    • そのほかの名前が4か所となり、組み合わせの順番はばらばら。
  3. 【今回の放送ではカット】京都市電の停留場名説
  4. 京都地名研究会会長の小寺慶昭さん(京都地名研究会会長、龍谷大学)によれば、一番最初の京都の住居の表示というのは、「条」から始まる。東西の横の通りから始まるというのが京都の最初のあり方だった。
  5. その後、南北の通りも名前が知られるようになり、東西と南北の通りを組み合わせる呼び方が生まれた。
  6. 中世以降、経済の発展とともに通りの両側に町が発達した。
    • 横に延びる東西の通りを挟むと「よこまち」
    • 縦に延びる南北の通りを挟むと「たてまち」
  7. 「よこまち」であれば東西の通りが先、「たてまち」であれば南北の通りが先に呼ばれる。
  8. 場所としてはほとんど同じも、「よこまち」なら東西の通り、「たてまち」なら南北の通りが先に呼ばれ、住む町によって変わる。例えば四条通を挟む「よこまち」に住む人が「四条烏丸」と呼ぶ場所について、烏丸通を挟む「たてまち」に住む人は「烏丸四条」と呼ぶ。ほとんど同じ場所でも2通りの呼び方が存在し、それぞれが呼びやすいように呼んでいた。
  9. 【今回の放送ではカット】呼び方が大きく変わったのは明治以降。市電の停留所や交差点などの公共施設では、混乱を避けるため地名の表記が統一され、定着していった。しかし、その決定の詳しい経緯は今回の取材ではわからず、謎が残った。
  10. 【今回の放送ではカット】今回の取材の結果、「四条堀川」と「五条大宮」の交差点をよくよく見てみると、進む方向によって「堀川四条」と「大宮五条」という2通りの標識が見つかった。標識を管理している京都市と国に確認したところ、混乱を招くおそれがあるので本来は統一しなければならないものだということで、今後対応を検討するということ。

 京都には大学入学以降15年ほど住んでいたことがあり、南北と東西のどちらが先かということはほぼ正確に記憶できていた。私が勝手に想定していた仮説は通り名に優先順位があり、例えば、「東山」は、ほぼ先に呼ばれるというもの。もっとも、「北大路」、「西大路」、「千本」などでは先に呼ばれる場合と後から呼ばれる場合があり、個別に覚えていくほかはないケースがあった。また、『百万遍』(=東山今出川)、『烏丸車庫』(=いまは烏丸北大路)、『高野』(=東山北大路)というように、通り名を使わない地名もあり、住み始めた頃は迷ったこともあった。
 余談だが、札幌市などのような開拓で造られた街では、通り名ではなくブロックごとに「条・丁目」が割り当てられている【こちら参照】。私は京都の地名に馴れていたので、札幌で「北20西3」などと言われるとまずは、北20条通りと西3丁目通りの交差点を探そうとしてしまう。ややこしいのは、ブロックの番号と別に『北20条通り』と『西3丁目通り』がちゃんと存在していること。ところがその交差点に到達すると、見る方向によって『北20西3』になっていたり『北20西2』になっていたりしてどちらに進めばいいのか全く見当がつかなくなる。このことは2015年10月29日の楽天版にも記したことがあった。


2024年5月28日(火)




【小さな話題】『明恵上人の“夢” 「あるべきようは」を生きる』と私が最近観た夢

 5月26日朝5時台のNHK『こころの時代』で、

明恵上人の“夢” 「あるべきようは」を生きる

という話題を取り上げていた。リンク先にもあるように、鎌倉時代の僧、明恵(みょうえ)上人(1173〜1232)は自分の見た夢を生涯40年に渡り記録した。「夢記(ゆめのき)」は京都の高山寺(こうさんじ)に伝わる。

 放送によれば、記録された夢は仏教に由来するものであったが、中には中国渡来の陶器の女性の人形の夢の記録(1220年5月20日)などもあった。その人形に語りかけると生身の女になった。これまでの研究では避けられてきたが、国文学者の奥田勲さん(聖心女子大学)「性愛と個人と人間という大きな器というもので捉えなければいけない」と分析しておられた。もっとも明恵の夢解きでは女人は「善妙」であると解釈され、個人の狭い愛から人々を守ろうとする大きな愛に転化する。夢記には、他にも『天女像の夢』(1206年11月4日)や『青い重ね衣の女の夢』(1211年12月24日)などがあり、性的描写も含まれていたところが興味深い。華厳宗祖師絵伝には「愛心なきは即ち法器にあらざる人なり」という教えがあり、みずからが仏法に向かうきっかけになっているとも解釈された。

 ということで、なかなか興味深い内容であった。明恵上人の観た夢は仏教的に解釈され覚醒時に実践にも繋がっていたようであるが、私自身が観る夢は、99%以上は、前日に観たテレビ番組、YouTube動画、Webコンテンツ、外出先での体験などのうちの、印象に残ったシーンの記憶がまぜこぜに再生され、再構築されたものに限られている。ちなみに、一昨日と昨日(実際に観た時間帯は起床直前なので、昨日と本日の朝ということになる)に観た夢は以下のような内容であった。
  1. 昨日:金魚を川に放した夢
    どこかの温泉旅館に泊まって大浴場に入ろうとしたところ、景品としてビニールパックに入った金魚を3袋もらった。ビニールパックは少量の水と酸素が充填されていたがこのままでは金魚が死んでしまうと思い、旅館の近くを流れる川の凹みに金魚を放した。金魚は川の水量が増した時にどこかへ泳いでいった。
  2. 本日:現代アートを夫婦で鑑賞後、先に建物出口まで行って妻を待つがちっとも出てこない夢
    デパートのフロアで行われていた現代アート(展示即売)を夫婦で観賞した。作品の中に、私が幼稚園の頃に描いた絵にそっくりのものがあったので出所を糾すが、何人かの手を渡ってきたもので作者は不明だという。その後私だけ先に建物出口まで移動するが、妻はちっとも出てこず、とうとう閉店で出入口が閉まってしまった。そういえばスマホで連絡がとれるはずだと思い妻に電話をかけたところ、いきなり愚痴ばかり言われて、妻がどこに居るのかは分からないまま目が覚めた。
いずれもたわいない内容だが、ほぼ99%は、最近視たTV番組、YouTube動画などで説明することができそう。
  1. 温泉旅館はYouTubeの旅動画を視たため。
  2. 金魚の夢は『いけずな京都旅(9)「迷宮の都」探検します!』の中で、鴨川沿いの風景や、先斗町の路地水族館が紹介されたため。
  3. 現代アートは、日曜日放送のNHK日曜美術館で「デ・キリコ」展を紹介していたため。
  4. 妻に待たされる夢は、実際に何度も待たされているため。
ということで、仏教的な解釈はまず不要。もちろんいくらでもこじつけることは可能だが。