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5月28日朝5時台のNHK「おはよう日本」で、 ●京の地名の不思議 東西と南北の通り、どっちが先? という話題を取り上げていた。元ネタは5月17日配信のWEBマガジンであり、リンク先に詳細が記されている。要約・抜粋させていただくと【改変あり】、
京都には大学入学以降15年ほど住んでいたことがあり、南北と東西のどちらが先かということはほぼ正確に記憶できていた。私が勝手に想定していた仮説は通り名に優先順位があり、例えば、「東山」は、ほぼ先に呼ばれるというもの。もっとも、「北大路」、「西大路」、「千本」などでは先に呼ばれる場合と後から呼ばれる場合があり、個別に覚えていくほかはないケースがあった。また、『百万遍』(=東山今出川)、『烏丸車庫』(=いまは烏丸北大路)、『高野』(=東山北大路)というように、通り名を使わない地名もあり、住み始めた頃は迷ったこともあった。 余談だが、札幌市などのような開拓で造られた街では、通り名ではなくブロックごとに「条・丁目」が割り当てられている【こちら参照】。私は京都の地名に馴れていたので、札幌で「北20西3」などと言われるとまずは、北20条通りと西3丁目通りの交差点を探そうとしてしまう。ややこしいのは、ブロックの番号と別に『北20条通り』と『西3丁目通り』がちゃんと存在していること。ところがその交差点に到達すると、見る方向によって『北20西3』になっていたり『北20西2』になっていたりしてどちらに進めばいいのか全く見当がつかなくなる。このことは2015年10月29日の楽天版にも記したことがあった。 |
【小さな話題】『明恵上人の“夢” 「あるべきようは」を生きる』と私が最近観た夢 5月26日朝5時台のNHK『こころの時代』で、 ●明恵上人の“夢” 「あるべきようは」を生きる という話題を取り上げていた。リンク先にもあるように、鎌倉時代の僧、明恵(みょうえ)上人(1173〜1232)は自分の見た夢を生涯40年に渡り記録した。「夢記(ゆめのき)」は京都の高山寺(こうさんじ)に伝わる。 放送によれば、記録された夢は仏教に由来するものであったが、中には中国渡来の陶器の女性の人形の夢の記録(1220年5月20日)などもあった。その人形に語りかけると生身の女になった。これまでの研究では避けられてきたが、国文学者の奥田勲さん(聖心女子大学)「性愛と個人と人間という大きな器というもので捉えなければいけない」と分析しておられた。もっとも明恵の夢解きでは女人は「善妙」であると解釈され、個人の狭い愛から人々を守ろうとする大きな愛に転化する。夢記には、他にも『天女像の夢』(1206年11月4日)や『青い重ね衣の女の夢』(1211年12月24日)などがあり、性的描写も含まれていたところが興味深い。華厳宗祖師絵伝には「愛心なきは即ち法器にあらざる人なり」という教えがあり、みずからが仏法に向かうきっかけになっているとも解釈された。 ということで、なかなか興味深い内容であった。明恵上人の観た夢は仏教的に解釈され覚醒時に実践にも繋がっていたようであるが、私自身が観る夢は、99%以上は、前日に観たテレビ番組、YouTube動画、Webコンテンツ、外出先での体験などのうちの、印象に残ったシーンの記憶がまぜこぜに再生され、再構築されたものに限られている。ちなみに、一昨日と昨日(実際に観た時間帯は起床直前なので、昨日と本日の朝ということになる)に観た夢は以下のような内容であった。
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