じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 6月14日に参加した明石海峡大橋塔頂体験(明石海峡大橋ブリッジワールド)では、参加条件として誓約書の提出の提出が義務づけられていた。その英語版(こちらのPDFファイルの2枚目)は英文になっていたが、日本語誓約書と同じようにすべて「Yes」で答えることを求めているのか、少々引っかかるところがあった。例えば、

I am not afraid of heights or claustrophobia. I do not have heart disease.

というチェック項目は、高所恐怖症・閉所恐怖症・心臓病等疾患でない人は「No」と答えるはず。

Do not bring any dangerous or falling objects (except cameras, cell phones, and valuables) to the Akashi-Kaikyo Bridge World.
Do not drink, eat, drink or smoke while participating in the Akashi-Kaikyo Bridge World.

というチェック項目も同様だが、こちらのほうは「○○しないことを約束します」という意味の回答であれば「Yes」ということになる。

 英語ネイティブの人はどのように受け止めるのか、またツアーの実施者はどのように対処しているのか、気になるところだ。


2024年6月16日(日)





【連載】チコちゃんに叱られる! 「バスケットボールの得点」「ハワイのマカダミアナッツの由来」

 6月14日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. バスケットボールの得点が2点なのはなぜ?
  2. ハワイのお土産といえばマカダミアナッツチョコレートなのはなぜ?
  3. くしゃみをするときに目を閉じるのはなぜ?
という3つの話題が取り上げられたが、今回は3つとも難易度の低い疑問であり1.と3.は私自身でも正解を出すことができた。

 まず1.のバスケットボールの得点については、放送では「ファウルをすると相手に得点が入るようにしたら、ややこしいことが起きたから」が正解であると説明された。バスケットボールを初めスポーツの歴史に詳しい谷釜尋徳さん(東洋大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 1891年、アメリカでバスケットボールが誕生。現在はシュートが2点、フリースローが1点、3ポイントシュートが3点、となっている。
  2. 当初はシュートが1点、同じチームが連続で3回ファウルをすると相手に1点が入るというルールだった。
  3. 当初のルールでは、ボールがコートの外に出た場合、最初にそのボールを保持した選手がスローインの権利を得るというルールがあった。これにより、ボールの奪い合いが頻発し、コートの外でもファウルが続出した。
  4. 新しいスポーツだったバスケットボールはシュートの技術が未熟で成功率も低かったため、わざとファウルを誘い、得点を狙うケースもあったと考えられる。
  5. その結果、シュートで得点を競うのではなく、ファウルによる得点で試合の勝敗が決まってしまうという事態が続いた。
  6. 1893年、ルール改正が行われ、シュートを3点に変更。さらに翌年には3回連続ファウルで1点というルールを廃止し、代わりにファウル1回ごとにフリースローが与えられ、成功すれば3点とした。
  7. しかし、シュートの成功率は依然として低く、ファウルによるフリースローの得点が多くなる傾向があった。そのため、フリースローの得点を3点から1点にした。
  8. すると今度はシュートの3点が重すぎるという批判があり、最終的にシュートは2点となった。
  9. 1984年には3ポイントシュートも追加され、現在のルールが定着した。
以上が解説の概要であるが、得点の重み付けの違いで競技内容が変わってしまうというところは、まさに行動分析学の強化理論そのものと言えよう。いろいろなプレーの中で、より大きな好子(強化子)が随伴する行動が起こりやすくなるということだ。

 ま、スポーツとしてはこれが最善のルールかどうかは分からない。いっそのこと格闘技と合体させて、競技者たちが相手を押さえつけても投げ飛ばしてもよいというルールでボールを奪い合いシュートのみで得点できるというルールにすれば面白くなったかもしれない。




 2.のハワイの『マカダミアナッツチョコレート』の由来については、放送では「それがマモルの夢だったから」が正解であるとされ、開発者の滝谷守さんおよびその祖先の苦労話が披露された。マカダミアナッツはハワイの現地の人にはあまり人気が無かったというのは初めて知った。
 あと、これは全くの余談だが、放送の途中、ハワイの歴史に詳しいという「山口大学国際総合科学部・杉井学教授」が登場され、日本からハワイに移住した人たちの暮らしぶりを解説しておられたが、その取材場所はどうみても教員個人の研究室ではなく、学部長室か学長室のように見えていた。と思ってお名前を検索させていただいたところ、こちらに2023年4月付けの学部長挨拶があり、やはり学部長をつとめておられることが確認できた。もっとも発言されたのは「ハワイの夏は常に貿易風が吹くのでサトウキビの収穫や加工のほかに防風林の手入れもしないといけなかった」という1回のみで、その発言をいただくためにわざわざ山口大学まで出向いたのか、それとも何か別の番組のために取材したものを転用したのかは謎であった。

 次回に続く。