じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 半田山植物園で5月下旬に定植されたヒマワリの苗が順調に成長し蕾が見えるようになった。このことで思い出したが、子どもの頃、ヒマワリが小さな苗の時から毎日それを飛び越える練習をすれば、ヒマワリの成長につれてより高く飛べるようになり最後は世界新記録を出せるようになると考えたことがあった。ヒマワリは毎日ほんの少ししか成長しないので、前の日に飛び越すことができるなら翌日もちょっと頑張れば必ず飛べるはず。にもかかわらず、現実に飛べなくなる日がやってくるのは何故だろうか?ということを常々疑問に思っていた。



2024年6月29日(土)




【小さな話題】お墓と葬儀について思うこと(1)

 6月27日(木)に再放送された【初回放送は2023年11月9日】、所さん!事件ですよ

納骨堂が経営破綻!?人気の“お墓”に思わぬ落とし穴

のメモと感想。またこれを機会に、私自身の死生観や葬儀についての希望を記しておくことにしたい。

 放送ではまず、伝統的なお墓に代えて、近代的な設備を備えた人気の納骨堂が紹介された。納骨堂とは遺骨を納める納骨施設のことで、コンパクトな「ロッカー式」から、参拝スペースに遺骨が運ばれてくる「自動搬送式」までいろいろなタイプがある。東京都の場合、お墓の平均費用は約180万円、いっぽう納骨堂の平均費用は約86万円。
 しかし、その納骨堂の中には経営破綻に陥るケースがあるという。ある女性は母親の遺骨を納めるために「納骨壇永代使用権利」として120万円を支払ったが、1年後には閉鎖されており、運営する宗教法人は借金により経営が立ち行かなくなり、すでに納骨堂の土地は他の業者の手に渡ったと説明。その後当該業者は行方をくらました。
 納骨堂を監督する自治体担当者によれば、宗教法人の経営状況を事細かく指導することはできないという。新しいタイプのお墓が増える中で、無許可の販売や高額の永代管理料など、国民生活センターには去年寄せられた問い合わせは1000件以上にのぼっているという。
 葬送ジャーナリストによれば、こうした背景には、安くて手軽なお墓を求める人が増えてきたことで、単なるビジネス目的の業者も増えてきたことなどがある。納骨堂や霊園の設立には自治体の許可が必要で、宗教法人や地方公共団体などの非営利団体でないと許可を取ることは難しく、営利目的の企業が簡単に参入することはできない。しかし、デベロッパーがいったん土地と建物を確保したものをお寺に寄付する、実際の運営は民間企業が行うというケースも存在するという。

 ここでいったん私の感想・考察を述べさせていただくが、伝統的なお墓に比べて納骨堂のほうが費用が安いというのは、ちょっと考えれば明らかにおかしいということに気づくはずだ。伝統的なお墓であれば、いったん墓石を設置すればそのまま放置したとしても100年、200年は残る。いっぽう納骨堂は建造物なので、もっと短いスパンでメンテや建て替えが必要になる。「自動搬送式」ともなれば相当の維持費が必要で「永代管理」などあり得ないといってよいだろう。
 今回紹介された例なども、悪人なら簡単に思いつく詐欺と言える。できるだけ豪華に見せかけた納骨堂を販売し、できるだけたくさんのお金を集めることができれば、そのあとは大金を持ってとんずらするのが一番儲かることになる。刑事事件にならぬよう、ペーパーカンパニーに巨額の投資をしたように見せかけて偽装倒産。あとは海外で悠々自適、あるいは更なる金儲けをたくらむという次第。
 納骨堂ビジネスが絶対に悪いとは言えないが、契約内容は20年〜50年程度としておいて、契約終了後は、遺族が希望すれば遺骨を返還、それ以外はまとめて無縁仏化するというのが現実的ではないかと思う。

 では、由緒あるお寺の納骨堂ならどうか。お寺の直営であれば何百年も維持管理は可能かもしれないが、本堂のメンテを含めて毎年相当のお金がかかる。檀家になるといろいろな名目で寄付を求められることがあり、相当の負担になりそう。

 ちなみに我が家は富士霊園に墓所がある。祖父母が存命の頃に購入したもので、確か、二期募集で5万円、一度支払うだけで住む永代管理料(←当時の制度)が3万円であったと記憶している。直近の募集では一基200万円以上、年間の管理料は税込みで9240円であるというから、いま申し込んだら相当の出費になりそうだ。
 もっとも、岡山からは遠方ということもあって滅多に墓参りには行かれない。というか、私個人は子どもの頃からずっと無神論であって、遺骨というものに特別な感情を抱いたことはない。最近は、現実世界を実数空間に喩えた上で、それと矛盾しない形で複素数空間あるいは四元数のような仮想空間を構築するとどうなるか、何らかの有用性があるのではないかと考え始めているが、仮にそのような拡張ができたとしても死んでしまえば直ちに消滅。実数空間が含まれないような虚数世界(極楽浄土や天国、あるいは現実世界のパラレルワールドのような霊魂の世界)などは想定しても意味が無いと思っていることには変わりはない。将来、といっても老い先そんなに長くはないだろうが、悔い改めて何かの宗教に帰依するということは絶対にあり得ない。あくまで、日々の生活を豊かにするために有用な「虚数世界」を模索する程度にとどまるだろう。

 次回に続く。