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ベランダで育てているクルクマ2鉢のうちの1株にようやく花芽が出現した。2021年春に購入したタキイのおまかせ球根10種セットに含まれていたものであるが、昨年秋に株分けしたせいか、開花が遅くなっている。 |
【連載】『3つの自己』の再考(5)概念化された他者(3)概念化は避けられないが柔軟な目も必要 昨日に続いて、「概念化された自己・他者」についての考察。「概念化された自己」を考える前にまずは「概念化された他者」について考察を続ける。 昨日の日記では、「他者を概念化するメリット、デメリット」という話題を取り上げた。「他者を概念化する」というのは、相手の人を、
これまで述べたように、人は多かれ少なかれ他者を概念化している。その証拠に、Aさんが話題に上った時に「Aさんはどんな人ですか?」と尋ねられた場合を想定してみるとよい。Aさんが全く知らない人であれば「全く分かりません」としか答えようが無いが、多少なりとも知り合いであれば、「こんな感じ、こんなタイプの人です」と答えることができるはずだ。そのことがまさに、すでにAさんを概念化している証拠である。ちなみに血液型性格判断なども概念化のツールの1つであり、そうした俗説の信奉者たちは、血液型別のステレオタイプを当てはめて相手を固定的に特徴づけようとする。 「他者を概念化するメリット、デメリット」についての一番の問題は、 ●メリットがあろうが、デメリットがあろうが、そんなことにはお構いなく、人は他者を概念化してしまう。 という点にある。要するに、「メリットがあるのでもっと概念化しましょう」、あるいは逆に「概念化には深刻なデメリットがあるので、もっと柔軟な接し方を心がけましょう」とか指摘され、それに納得したからといって、そんなに簡単に自分を変えることはできないのである。 ある人がどの程度他者を概念化しているかについては、何らかの物差しをつくることができる。例えば、ドラマの主要な登場人物5人について、第1話〜5話を視た時の印象と、第26話〜30話を視た時の印象をそれぞれ評定してもらう。2回の評定値が殆ど変わらない場合は「第一印象での概念化が固定されやすい人(思い込みの強い人)」ということになるし、2回目で評定値が大きく変わった人は、ドラマの展開に合わせて柔軟に概念化を変化させることができた人ということになる。ちなみに概念化が極端に強い人は、ドラマに出演する俳優さんそれぞれを概念化しており、「あの俳優が出るドラマは絶対に視ない」とか、逆に「あの俳優が出るドラマは必ず視る」というようになることさえある。 もっともいま述べた「概念化傾向診断テスト」のようなものを作ったところで、しょせん測れるのは「その人の概念化傾向はどの程度か?」という個体差の比較に過ぎない。臨床的に一番の問題となるのは、学校や職場などで「嫌な人と一緒に居たくない」という理由で通勤・通学が困難になるようなケースかと思う。もちろん、アカハラ、パワハラ、セクハラといった具体的な事象が原因の場合は、関係機関を通じて適切に対応してもらうほかはないが、そうでない場合の「嫌な人」というのは、本当はそんなに悪い人でもなんでもなくて、当人が単に「嫌な人」に概念化、固定化してしまっている可能性もあるのではないかと思う。そういう場合には、相手の人との接し方、見方を柔軟に変えていくようなセラピーが求められるようになる。そもそも学校や職場で出会う人たちが100%自分に好意的であるはずが無い。いろんな人が居ること、しかもそれらの人たちを柔軟な目で見ると必ず良い面と悪い面があること、ということを体験の繰り返しの中で実感していけば、人生、どうにかこうにかやっていけるはずだ。 次回に続く。 |