じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 12月3日の日記で、2011年9月に購入した腕時計の液晶画面が表示されなくなったことを記した。その後、太陽電池がうまく働けば復活するかもしれないと思い、窓際に置いたままにしたところ、12月5日の朝には時刻・日時が表示されるようになった。
 もっとも12月5日の朝9時過ぎの時点で表示されていたのは、

●1月1日 (日) 午前12時55分

となっていた。1月1日が日曜日になるのは直近では2012年であり、13年ほど前に「タイムスリップ」したことになる。この時計は電波時計の機能があるのだが、自動的に現在時刻には修正できていないようであった。また長年使っているうちに側面のボタンが硬くなって押せなくなっており、手動での修正もできなかった。
 興味深いのは、翌日の12月6日になっても腕時計のほうの日付が変わらなかったことである。【 】内を本当の日時(24時間表示)とすると、腕時計が表示していたのは
  • 【12月2日09時10分】→1月1日午前12時55分
  • 【12月5日16時53分】→1月1日午前8時38分
  • 【12月6日06時4分】→1月1日午前9時49分

となっており、翌日になっても1月1日の午前中のままであった。つまり、この時計の世界に「タイムスリップ」した場合、常に2012年1月1日午前を過ごすことになることが分かった。

 なお、この腕時計が半分復活した理由は不明だが、復活した瞬間に1月1日0時0分というように表示されたとすると、本当の日時では12月4日の20時15分頃から動き始めたと推定できる。なぜこの時刻なのか? この瞬間に宇宙から特別の電波が届いたのか? 室内の照明や暖房が影響を与えたのか? 
 いずれにせよ、この腕時計は実用性を失ったものの、どういう規則性で動いているのかを観察する興味深い対象になった。



2024年12月6日(金)




【連載】ヒューマニエンス 「“不安” ヒトが“自らつくった”進化のカギ」(6)「将来のことを不安に感じる人が生き残ってきた」のは本当か?

 12月4日に続いて、11月25日にNHK-BSで再放送【初回放送は6月1日】された、NHK『ヒューマニエンス』、

「“不安” ヒトが“自らつくった”進化のカギ」

についてのメモと感想。

 放送では続いて、農耕時代から現代に至る不安の変遷が解説された。
 文明が発展して外敵や食糧の不安が大幅に減ったのにもかかわらず現代の私たちはなお不安を抱えている。街角でインタビューしたところ、「異動したばかりで人間関係が不安」(30代女性)、「経済的な不安に関しては結論が出ない、解決しきれない」(30代男性)、「自分の死にぎわ」(40代女性)など、将来に関する不安の声が多く寄せられた。このことについ、私たちの祖先が生活スタイルを変えたことに関連していると説明された。河田さん&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. およそ1万年前、農耕定住生活が始まった。
  2. 河田さんは「1つの仮説にすぎない」と断った上で、
    • 農耕民は春に種をまいて秋に収穫するというように将来を見据えて予測をして農耕しなければならない。
    • 将来に対する不安を感じることが農耕生活をより成功に導いた。
    と説明した。
  3. 農耕を始める前(18000年前)のヨーロッパの狩猟採集民と、農耕を始めるようになった7800年前のヨーロッパの農耕民の遺伝子を比較した研究によれば、不安傾向の遺伝子スコア(Z-スコア)は農耕民のほうが有意に高くなっていた。
    【出典は、Evan K Irving-Peaseほか(2024).The selection landscape and genetic legacy of ancient Eurasians. Nature, Jan;625(7994), 312-320.
  4. ヒトの場合は他の生物にはないような認知能力を獲得することで長期的な将来を予測したりいろいろな想像をしてしまう。みずからいろんな不安要素を作り出してしまう。私たちはみずから不安を生み出す生き物になった。
  5. 不安のメリットの1つは、将来に備える、不安を感じて(将来のための)行動に導くということがある。【河田説】将来のことを不安に感じる人が生き残ってきた。

 スタジオでは、以上に対して
  • 「何とかなるや」では全滅になってしまう(藤井彩子さん)
  • 農耕民には報酬がある。きちんとしたら何か月が後に報酬がある。報酬がきちんとしているからこそ不安が生じる。(いとうせいこうさん)
  • そのおかげでヒトの進化が得られた。
といったコメントが交わされた。


 ここでいったん私の感想・考察を述べさせていただくが、まず、ヨーロッパの狩猟採集民と農耕民を比較した調査により農耕民のほうが不安傾向の遺伝子スコアが有意に高いという結果が得られたことは何らかの形で説明されなければならないと思う。しかし11月27日にも指摘したように、そのデータから「農耕生活の中では将来のことを不安に感じる人が生き残ってきた。」と解釈できるかどうかについては大いに疑問が残る。河田さんご自身は「1つの仮説にすぎない」と断っておられたのだが、放送の中では結果としてそれが定説になっているかのように無批判に受け入れられてしまった。
 あくまで私の想像にすぎないが、狩猟採集民は別段ギャンブラーのように生活していたわけではあるまい。どこへ行けば何が採れるかを予想したり、冬場の食糧難に備えて保存食を作ったりしたはずだ。獲物が採れないかもしれないことへの不安も大きかったと思われる。
 いっぽう農耕民の計画的な農作業は別段不安を感じなくても進められる。すでに指摘しているように、将棋棋士が何十手も先の手を読んだりウォーキング中に安全に気をつけたりする時にいちいち不安を感じているわけではあるまい。
 また一般論として、「【河田説】将来のことを不安に感じる人が生き残ってきた。」というのであれば、現代社会においても、将来に不安を感じやすい人のほうが日常生活に適応できるはずだ。もちろん、常に何らかの不安を感じつつ努力を怠らない人のほうが、何の不安も無しにのんべんだらりと暮らしている人よりも大きな仕事ができるかもしれないが。但し、それはそれとして、農耕民のムラ社会の中で、将来のことに不安を感じる人のほうが生き残るか生き残るというほどの自然選択に繋がったと考えるのは少々飛躍があるように思える。

 農耕民のほうが不安傾向の遺伝子スコアが高いことについては、定住生活自体の不安【←近隣の住民によって土地が奪われる不安など】、農耕の共同作業における集団生活上の不安【←人間関係上の不安】なども考えられると思う。放送で挙げられていたような「将来に対する不安」ではなく「日々の生活におけるストレス」にかかわる不安もあったのではないかと推測される。

 次回に続く。