じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 ウォーキングコース沿いで見かけた草紅葉。ツタバウンランと思われる。迷惑雑草化しつつあるが、紅葉シーズンが終わったこの時期の道路沿いを彩っている。


2025年01月18日(土) )




【連載】チコちゃんに叱られる! 「デパ地下で食品を売る理由」「参加型の出演者」

 1月17日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. なぜデパ地下は地下にある?
  2. クロワッサンはなぜこの形?
  3. 【こんなんのコーナー】自分の指と他人の指を同時にこするとなんか気持ち悪い現象
  4. なぜふりがなを「ルビ」という?
という4つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.について考察する。

 デパ地下が地下にあるのは、放送では「デパートが土足禁止だったから」が正解であると説明された。さまざまなデパ地下プロデュースに携わる樋口武久さん(食物販マーケッター)&ナレーションによる解説は以下の通り。
  1. デパ地下は今でこそデパートの花形だが、もともとは脇役的存在だった。
  2. 日本初とされるデパ地下は松坂屋名古屋店の『東西名物街』。デパートの地下のスペースに東西の老舗の名店を集め、羊羹、佃煮、洋菓子などを扱っていた。この頃は惣菜やお弁当の扱いはなく、贈答品が中心だった。
  3. そもそも日本のデパートの始まりは老舗呉服店がリニューアルして誕生したもので、メイン商品は呉服系が中心だった。じっさい、高島屋、松坂屋、そごう、大丸などの老舗デパートは元呉服店であり、売り物の衣料品や服飾雑貨だった。
  4. 当初のデパートでは、「建物の中心である1階〜3階に、化粧品、靴、カバン、呉服、アクセサリー」、「4〜5階に家具、文房具、玩具」、「眺めの良い最上階に食堂」、「展望台や動物園は屋上」といった配置になっていた。いっぽう地下1階は、当初は下足置き場だった。
  5. デパートが登場した当初、日本では呉服店時代からの習慣で床には畳が敷かれており、建物内は土足禁止だった。そのため、デパートの入口には下足番という客の履き物を預かる係が常駐。預かった履き物は地下の下足置き場で保管していた。
  6. しかし、このシステムは出入り口で混雑を招き、全国のデパートで悩みの種となっていた。そこで、松坂屋では土足入場を解禁。必要がなくなった下足置き場は、食品・台所用品の売り場として活用されるようになった。
  7. 当初、食品売り場はデパートの脇役であったが、地下であることが「成り上がり」の幸運をもたらした。
    • 1927年、都心で地下鉄が誕生。さらに駅の建設費用をデパート側に負担してもらうことで路線延長に成功した。銀座線の場合、当初は上野・浅草間であったが、松坂屋上野店、日本橋三越、日本橋高島屋、松屋銀座に隣接してそれぞれ、上野広小路、三越前、日本橋、銀座の各駅が造られた。これにより地下鉄の駅とデパートの地下が直結し、地下入口からデパートに入る客が増えた。
    • 1986年、男女雇用機会均等法が施行されると働く女性が増え、時間的負担よりも金銭的負担を選ぶライフスタイルに変化。これにより通勤帰りの女性が「お金がかかってもいいからすでに調理された食品」を買うようになり、デパート側も食品フロアを拡大。
    • 水道管やガス管が地下にあるため、惣菜の調理に必要なインフラ設備が整いやすかった。
    • 1990年代のバブル崩壊はデパートに大打撃を与えたが、デパ地下にとっては逆に追い風となった。1990年頃からはデパートの花形だった高価な商品の売り上げが急落。相対的にデパ地下では「ぜいたくな気分が味わえる」惣菜が人気となった。
    • 2000年に入ると渋谷の大手デパートが食品フロアを大改装。人気のスイーツなど食のトレンドを取り入れた新たなデパ地下を再構築。雑誌やテレビなどさまざまなメディアに注目されたことでデパ地下ブームが起こり、2023年のデパートの商品別売り上げでは、食料品27%、衣料品27%、雑貨20%、身の回り品16%、その他10%、というように売り上げの1/4を食料品が占めるようになった。
  8. こうして、下足置き場がたまたま空いたことでできたデパ地下は主役に成り上がった。
ここからは私の感想・考察を述べさせていただくが、まず「デパ地下」は字面からは「デパートの地下」という意味であり、

●デパートの地下の省略形だから『デパ地下』

という説明で完結しているように思われる。放送では、あくまで「百貨店の食料品売り場」の俗称として取り上げられており、正確には、

●デパートの食品売場はなぜ地下階に多いか?

というように問題を立てるべきであった。

 放送では、「下足置き場がたまたま空いたことで食品売場が誕生した」と説明されていたが、これは、物事の始まりの説明、つまり、

●デパ地下の食品売場はどのような経緯で設置されたのか?

の説明としては妥当だが、

●今の時代、なぜ、デパートの地下に食品売り場があるのか?

を説明するものではない。このWeb日記でも再三指摘しているように、今の時代の現象はあくまで今の時代の環境要因によって説明されなければならない。文化の理解という点では起源・由来は重要だが、起源が何であったとしても、今の時代にその意義が失われてしまえば、もはや今の時代には存続しにくくなるからである【もちろん、過去の「名残」としてわずかに残ることもあるが】。

 なお、ウィキペディアでは、食品売場が地下にある理由を以下のように説明している。放送でもほぼ同じ内容であるが、かつて下足置き場があったことは理由には含まれていない。
地下や低層階を食料品売り場にしているデパートが多いのは、メリットとして水回りやガス、電気などの設備が地上階に設置することに比べて低コストなためである。実際に東急百貨店本店は最上階に食料品売り場を設けたことがあるが、売り場面積が限られ商品を運ぶ手間もかかったためその後は地下に移した。もう一つのメリットとして、地下鉄駅と接続して地下街の一部を形成することや、あるいは地下に設置された駐車場と直結することで地下からの入店を狙えることである。そして食品売場に集めた客を、上層階へ誘う狙いがある。これを「噴水効果」と呼ぶ。
ただし、建物の構造上の事情などから、地下ではない「デパ地下」もいくつか存在する。ただしそのような場合でも、1階など低層階に配置されることが常である。 【以下略】


 このWeb日記にも何度か書いているが、私自身はそもそもデパートを利用する機会が全く無い。ファッションには全く興味が無いので、夫婦でデパートを訪れたとしても私はトイレの入口にあるベンチで妻の買い物を待つだけに終わる。直近で訪れたのは2022年11月であったが、この時は久しぶりに履いた革靴(合成皮)の靴底がボロボロと剥がれ落ち、デパートの床を汚してしまった記憶がある。
 デパートの食品売場を利用しない理由は、自家用車利用では駐車が面倒なこと、公共交通機関利用の場合は買った物を運ぶのが重くて面倒なこと、という2点に尽きるかと思う。

 余談だが、今回の放送には、河北麻友子さんが出演されていたが(5回目)、解説やVTRで数秒〜数十秒ごとに声を上げていたため、岡村さんから「めちゃくちゃ参加型」と評されていた。私自身は、岡村さんが指摘するまでそのことに気づかなかったが、もう一人の出演者のあばれる君はほぼ無言であり、対比すると河北さんが一人で喋りまくっているような印象もあった。チコちゃん以外のバラエティ番組は殆ど視ないので詳しいことは言えないが、出演者それぞれがどの程度頻繁に声を上げるかということは番組の印象形成上で興味深い要因になるかと思う。

 次回に続く。