【連載】チコちゃんに叱られる! 「永久欠番の由来」/「出来る」と「できる」
5月9日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。
この日は、
- 永久欠番ができたのはなぜ?
- バーベキューの料理がおいしく感じるのはなぜ?
- 寝癖ができるのはなぜ?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうち1.について考察する。
放送では、永久欠番が出来たのは「ルー・ゲーリックを励ますため」が正解であると説明された。解説は鈴村祐輔さん(名城大学)。鈴村さんは野球の歴史に関してこれまで4回登場されている。
- エースってなに? (2018.11.2.)
- なぜ始球式で空振りする?(2019.4.49.)
- なぜ野球は“ストライク”って言う?(2021.3.26.)
- 野球の監督だけがユニフォームを着るのはなぜ?(2023.3.31.)
鈴村さん&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- ルー・ゲーリッグはおよそ100年前に活躍していた大リーガー。この人から『永久欠番』が始まった。
- 永久欠番に指定されるとその球団の選手は誰もその番号をつけられなくなる。
- 背番号が使われるあらゆるスポーツは基本的に同じ番号が選手から選手へと引き継がれていくが、多大な功績を残した選手を末永く称えるためにその選手のつけた背番号をチームのなかで永久に欠番扱いするのが『永久欠番』。
- ルー・ゲーリッグはニューヨーク・ヤンキースで4番を務めた強打者で1934年に三冠王を獲得するなど、ベーブ・ルースと並ぶチームの顔だった。しかも1925年からおよそ14年間、一度も試合を休まず、2130試合連続出場し、『Iron Horse(鉄の馬)』と呼ばれた。
- ところが35歳で迎えた1938年のシーズン半ばから成績がだんだんと落ち始めた。本人は「シーズン半ばで疲れてしまった」と話し、記者やファンも「連続試合出場による疲れだろう」と思っていたが、ケチャップのフタを外せないとか、少しの段差でもつまずくなど、日常生活でも異変が生じていた。そこでゲーリッグは2130試合連続出場したあと、本人の希望でベンチに残った。
- その後症状は悪くなるいっぽうで、アメリカ有数の有名病院を受診したところ『筋萎縮性側索硬化症』という病名を告げられた。
- 病名を告げられた2日後にゲーリックは引退を表明。ヤンキースは1939年7月4日、『ルー・ゲーリッグ感謝デー』を開催。放送ではその時の「歴史に残る伝説のスピーチ」の映像が紹介された。
- ヤンキースはゲーリックの背番号4を永久欠番にした。欠番にしたのはそれまでの栄誉を称えるという意味だけでなく、病気を乗り越えてまた球場に戻って来るまで誰にも背番号を渡さずに待ち続けているよという球団からのエールだった。しかし、その2年後、ゲーリックは37歳という若さで亡くなった。
- ヤンキースの背番号4は、以後、誰もつけることなく現在に至っている。
- 当初はヤンキースのみの特例措置であったが、その後、それぞれの球団が選手の功績をたたえるために永久欠番を採用するようになった。
なお、放送ではイチローさんの背番号「51」が「今年の8月に永久欠番になるというニュースが話題になった」、「マリナーズは今年8月に『51』を永久欠番にすると正式に発表した」と紹介されていたが、これらの日本語表現には2通りの意味がある。
- マリナーズはイチローの「51」を今年8月から永久欠番にすると本日発表した。
- マリナーズはイチローの「51」を永久欠番にすると今年8月に発表した。
私は当初2.の意味だと思ってしまったのだが今は5月なのになぜ「今年8月」の出来事が分かるのか疑問が生じた。しかし、1.であるとすれば特に問題は無さそうだ。念のためCopilotに「マリナーズはイチローの「51」を今年8月から永久欠番にすると発表したそうですが、なぜ直ちに永久欠番とせず「8月から」としたのでしょうか?」と尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
シアトル・マリナーズがイチロー氏の背番号「51」を**2025年8月9日から**永久欠番にする理由には、いくつかの要素があるようです。
- **殿堂入りのタイミング**
イチロー氏は2025年1月に米国野球殿堂入りを果たしました。永久欠番の発表はその直後に行われましたが、実際の欠番化は**殿堂入りセレモニーが開催される8月9日**に合わせて行われる予定です。これは、彼の功績を祝う場として最適なタイミングを選んだものと考えられます。
- **記念イベントの準備**
マリナーズは8月10日に**永久欠番セレモニー**を開催する予定であり、これに向けた準備期間を確保するため、8月からの適用となった可能性があります。
- **「51歳」との関連性**
イチロー氏は2025年に**51歳**を迎えます。彼の背番号「51」との偶然の一致が、より特別な意味を持つタイミングとして選ばれたのかもしれません。
このように、単なる技術的な理由ではなく、**イチロー氏の偉業を最大限に讃えるための演出**として、8月9日からの永久欠番化が決定されたようですね。歴史的な瞬間を迎えるのが楽しみですね!
なるほど、永久欠番を決定する際の手続上の理由ではなく、栄光を称えるための演出を狙ったものであったようだ。
放送では続いて、鈴村さんが「グッときた永久欠番ストーリー」が紹介された。
- 広島東洋カープの黒田博樹選手「15」:ニューヨーク・ヤンキース所属のあと、大リーグの別球団からの20億円へのオファーよりも古巣・広島に戻ることを選んだ。
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの星野仙一監督「77」:中日の投手のあと、中日や阪神の監督をつとめ2011年に楽天の監督に就任。シーズン直前の東日本大震災が発生するなどの困難を乗り越え2013年に日本一を決めた。
- 読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手「3」:1974年の引退直後すぐに永久欠番となった。その直後から監督となり「90」をつけたが、チーム成績はふるわなかった。2回目の監督をつとめていた2000年、永久欠番を復活させて「3」のユニホームを着用しその年に日本一を達成。背番号3のユニホームで胴上げされた。
なお、プロ野球選手以外の永久欠番についてはこちらに一覧があり、サッカー、バスケットボール、アメリカンフットボール、アイスホッケー、モータースポーツなどが紹介されていた。
また番号ではないが、落語などでは「永久欠番の芸人」、「永久欠番の名跡」というのがあるらしい。いっぽう大相撲の四股名では、むしろ同じ四股名を継ぐ場合が少なくないように思う。
あと、本題とは全く関係の無い話題だが、放送の中では「永久欠番が出来たのはなぜ?」というように、一貫して「できた」ではなく「出来た」という漢字表記になっていた【但し、公式サイトでは「できた」と平仮名表記になっていた】。次回取り上げる予定の寝癖の話題も「寝癖が出来る」になっていた。
私自身は、特に理由はないものの「できる」、「できた」というように平仮名表記を使う習慣があり漢字表記には違和感があった。さっそくネットで検索したところ、こちらに興味深い解説があった【以下、要約・改変あり】。
- 平仮名で表記する場合と漢字で表記する場合、言葉の意味に大きな違いはありませんが品詞が異なる。
- 動詞の「できる」は平仮名表記で、動詞「できる」の連用形の名詞化された言葉は漢字表記になる。
- たとえば
- 「〇〇〇ができる」という場合は動詞になるので平仮名表記にするのが正解。「〇〇〇が出来る」と動詞の意味の言葉を漢字に変換することは間違い。
- 文化庁の「新しい「公用文作成の要領」に向けて(報告)(令和3年3月12日)」や、共同通信社から発行されている「記者ハンドブック」にも、平仮名で「できる」と表記することが記載されている。
また、上掲のサイトからリンクされていた文化庁|新しい「公用文作成の要領」に向けて(報告)(令和3年3月12日)においても、
動詞、副詞、形容詞は漢字で書くことを基本とするが一部のものは仮名で書く
動詞のうち仮名で書くもの
例)居る→いる 出来る→できる(「利用ができる」 。ただし、「出来が良い」などは漢字で書く。) 成る→なる(「1万円になる」。 ただし、「歩が金に成る」「本表と付表から成る」などは漢字で書く。)
とされていた。上記のルールは公用文作成の指針であって、個人が好みにより「出来る」と記すことを禁じるものではないし、国語の試験で「出来る」と書いたからといって減点されるものでもないが、公用文と同じ表記を使うはずのNHKの放送のなかで指針と異なる漢字表記になっていたというのは興味深い。
次回に続く。
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