じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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【カナリア諸島その1:関空までの運賃・料金】
 カナリア諸島旅行の小ネタその1。今回の旅行では往復ともジパング倶楽部割引で「さくら」+「はるか」の自由席【ジパング倶楽部は昨年10月に更新しなかったため新規入会扱いで2割引】を利用した。その際に気になったのが、往路と復路で運賃・料金 の違いである。往路は6410円、復路は6760円で、同じ区間なのに復路【関空→新大阪→岡山→法界院】のほうが350円も高くなっていた。

 関空の窓口で尋ねた限りでは繁忙期、通常期、閑散期といった時期の違いによるとのことであったが、こちらのカレンダーを見る限りは往路の5月12日、復路の5月20日はいずれも通常期となっており違いが生じた理由は分からなかった。

 ちなみに、往路の『はるか』の新大阪―関空の特急料金は960円であり、通常期1200円の料金の2割引が適用(1200×0.8=960円)されていることは確認できている。復路については未確認。

 私の記憶ではかつて新大阪―関空の『はるか』自由席料金は、新幹線乗り継ぎで半額になっていた。この割引制度は2024年3月16日のダイヤ改正にあわせて廃止されたという。

 なので、特に急がないのであれば、
  • 新大阪から大阪駅まで在来線、そこから関空快速を利用
  • 新大阪から御堂筋線、南海を利用
という節約も検討する必要がありそう。もっとも今回のようにスーツケースを自分で運ぶ場合は在来線乗り換えはきつい。といってスーツケース宅配を使用すれば特急料金以上にお金がかかる。ま、海外旅行自体の出費に比べればそんなことは気にするなという見方もあるだろうが。

2025年05月22日(木)




【連載】チコちゃんに叱られる! くつしたの由来

 5月16日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。

 この日は、
  1. くつ下をはくようになったのはなぜ?
  2. 水戸黄門の「黄門」ってなに?
  3. チューリップといえばオランダなのはなぜ?
という3つの話題が取り上げられた。本日は1.の『くつした』について考察する。

 放送では、「くつ下をはくようになったのは脚線美を見せつけたかったから」が正解であると説明された。服飾史研究家の辻元よしふみさん&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 私たちがくつ下をはくようになったきっかけは古代ローマ帝国の文化が関係している。
  2. 古代ローマ帝国とは地中海を中心に西ヨーロッパ・中東・北アフリカまでを支配した超大国。
  3. この時代のローマ人は、女性は丈の長いワンピース。男性はズボンは履かず、丈が短いワンピースを着ていた。
  4. 古代ローマの男性が丈が短いワンピースを着ていたのは、動きやすいという理由の他に、ズボンだと自慢の脚線美を見せられないという理由があった。彼らは東方のペルシャ人や北方のゲルマン人が履くズボンをダサくて格好悪いと考えていた。ズボンを履くと、ふくらはぎの曲線美をアピールできない。
  5. 当時、健康的で美しい脚というのは、たくましい男性の象徴だった。そのため古代ローマの男性は脱毛などして脚の手入れを欠かさなかった。
  6. そんな古代ローマ帝国も徐々に衰退。ズボンをはいていたゲルマン人が、現在のフランスやドイツ、イタリア北部などにフランク王国を築いた。
  7. すると、ゲルマン人の服装に大きな変化が生じた。かつての古代ローマ人に強い憧れを抱いていたゲルマン人は、着用する服をズボンから短いワンピースへ移行。
  8. しかし、ゲルマン人が生活していたのは北ヨーロッパで寒かった。そのため、短いワンピースにプラスしてひざ丈のくつ下『ホーズ』をはくようになった。
  9. これよりゲルマン人男性は冬でも脚線美を見せられるようになった。
  10. 脚線美を見せる文化は主に貴族の間に残っていったが、下半身が無防備となることから半ズボンのスタイルになっていった。
  11. いっぽう、市民はケガや汚れを防止するためにズボンを履くようになった。この時、靴下は履かず、素足に靴を履いている人が殆どだった。
  12. 19世紀のフランス革命で階級社会が崩壊すると、市民が履いていた長ズボンが主流となり、脚線美を見せるための長い靴下は姿を消した。
  13. しかし、産業革命で道路が舗装され硬くなると、クッションの役割としての靴下が注目され、現在のような実用的な靴下が広まっていった。


 ここからは私の感想・考察を述べる。
 まずこのWeb日記で何度も指摘しているように、何かの習慣にどういう由来があるのかということと、現在その習慣がなぜ続いているのか、ということは区別して考える必要がある。今回の話題に関しては、
  1. 靴下を履くようになった由来は?
  2. 現代人はなぜ靴下を履いているのか?
という2つの問いに分けて考えなければならないということだ。但し今回の放送は「くつ下をはくようになったのはなぜ?」というように上記1.に限定された問いであり、2.についての解説を求めるものではなかった。

 もっとも、放送で取り上げられた靴下というのはホーズ(hose。フランス語ではショース)であって、現代人が着用している短い靴下とは異なるものであった。もちろん「脚に履く」という習慣では共通しているが、であるならば、
  1. 現代人が靴下を履くのはゲルマン人男性のホーズに由来している。
  2. 日本人が靴下を履くのは足袋に由来している。
というどちらの説明でも構わなくなる。じっさい、ホーズと呼ばれるような長い靴下と現代人が履く短い靴下は別物であり、単に「脚に履く」という共通点だけをもって由来として繋げられるかどうかは疑問が残る。

 放送では、
  1. 市民が履いていた長ズボンが主流となり、脚線美を見せるための長い靴下は姿を消した。
  2. しかし、産業革命で道路が舗装され硬くなると、クッションの役割としての靴下が注目され、現在のような実用的な靴下が広まっていった。
と説明されていたが、「道路が舗装され硬くなった」ために「クッションの役割としての靴下が注目された」というのが、短い靴下が定着した本当の理由になっているのかどうかは疑問が残る。なぜなら、未舗装の道路のほうがゴツゴツしているし石ころを踏む場合もあり、舗装された道路以上にクッションの必要があるはず。じっさい、山に登る時のほうが厚い靴下やインソールが必要。また、そもそも人類の足裏というのはそれなりに丈夫にできており、私が1978年にネパールトレッキングに行った頃は、裸足で歩いている人も多かったし、またエチオピアの塩のキャラバンの人たちは裸足にサンダルだけで歩いていた。こうして考えてみると、現代人が薄い靴下を履くのは、もっと別の理由。例えば靴の中が汗などで悪臭を発しないようにするとか、靴と足が接触してもマメができないようにするといった別の理由によるのではないかと推測される。

 靴下に関連する疑問【実際にはズボンに関する疑問】としてはこのほか、
  • 私が子どもの頃は、小学生は半ズボンに長靴下、中学生以上は長ズボンであったが、なぜ小学生の時には長ズボンを履かないのか。
  • 中学生以上では、男子生徒は長ズボンだが、女子生徒は真冬でもスカートを履いていた。なぜ女子は寒くないのだろうか。
といった疑問があった。もっとも最近では小学生男女でも長ズボンを履いていたり、女子中学生や女子高校生でも長ズボンを履いて登校しているケースがあるようなので、上記の疑問自体が成り立つかどうかは分からない。

 次回に続く。