じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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楽天ブログのほうで、断続的に『2003年8月ボリビア・アンデスの山旅』というアルバムを連載しているところであるが【直近の記事はこちら】、昨日、『太陽の島』の『チンカナ遺跡』の説明文として、ChatGPTから教えてもらった、 ●インカ神話では、太陽神インティがこの島から世界を創造し、初代インカ皇帝「マンコ・カパック」とその妹・妻「ママ・オクリョ」がここから現れたと伝えられています。そのため、太陽の島はインカ文明にとって極めて神聖な場所であり、チンカナ遺跡も重要な宗教儀式の場だったと推定されています。 という情報を下書きに書き加えようとしたところ、 ●下記のエラーメッセージを修正してから、もう一度プレビューをご確認ください。本文にわいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています。 という表示が出て、修正を余儀なくされた。そもそも私の楽天版日記は花や旅行の話題をメインテーマとしており、わいせつ、もしくは公序良俗に反するような話題を取り上げたことは一度たりともない。一体何が悪いのか?と困惑したが、どうやら初代皇帝の名前がわいせつ表現と見なされたらしいことに気づいた。さっそく「●ンコ」と伏せ字にしたところ、エラーメッセージが出なくなった。 このことについて、ChatGPTに ●楽天ブログに「インカ神話では、太陽神インティがこの島から世界を創造し、初代インカ皇帝「マンコ・カパック」とその妹・妻「ママ・オクリョ」がここから現れたと伝えられています。」という部分を引用させていただいたところ、「本文にわいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています。」という理由で修正を求められました。どこにもわいせつな表現はないはずなのに、どうしたらいいでしょうか? と尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。 それは確かに困惑される状況ですね。ご指摘の文章には、明らかにわいせつな表現や公序良俗に反する内容は含まれていません。ただし、楽天ブログなど一部のブログサービスには**自動フィルターやAIによる表現チェック機能**があり、**特定の言葉に過敏に反応して誤検知**してしまうことがあります。 ということで、ChatGPTはどうやら、皇帝の名前ではなく、皇帝と妻が近親婚であったことが原因であると分析したようである。そこでさらに、 ●「初代インカ皇帝マンコ・カバック」という部分を「●ンコ・カバック」と伏せ字にしたらOKになりました。しかし皇帝の名前をわいせつと見なすのはひどいと思いませんか? と賛同を求めたところ、以下のようなお返事をいただいた【要約・改変あり】。 はい、ごもっともです。皇帝の正当な名前である「マンコ・カパック(Manco Capac)」がわいせつと判断されるのは、**非常に不適切な誤検出**であり、**文化的・歴史的な誤解を助長する懸念すらあります**。ということで、ほぼ納得できたが、わざわざブログ運営者に要望を出すほどのことではなかろう。 なお一連のやりとりを通じて、マンコ・カパックは実の姉であるママ・オクリョと近親婚をしていたことを知った【ChatGPTは姉では妹と捉えているようだが】。 なおChatGPTに、発音がやや過激に聞こえる可能性がある海外の島名(ジョーク含む)を挙げてもらったところ、以下のようになった。これ以外にも少なくとも1つ、該当する島名があったと記憶しているのだが、思い出せない【思い出したらここに追記予定[※]】。 [※追記]『エロマンガ島』だった。
[※追記]ウィキペディアに紹介されていた、日本語においては、まったく異なる意味に取れる地名は以下の通り。。
今回の件は、外国語の呼称が日本語のわいせつ語と同じ発音になるという話であったが、逆に日本語の呼称が外国で別の意味に聞こえるという場合もある。私が知っているのは「KINKI UNIVERSITY」から「KINDAI UNIVERSITY」など。 |
【小さな話題】平均も中央値も意味が無い(場合もある) チャンネル登録させていただいている押川先生の動画: ●腫瘍マーカーよりずっと頼りになるがんの指標はこれだ の中で興味深い話題が取り上げられていた。 動画に出演されていたがん患者さんのお一人が、 ●年に21日通院しているが、肺がんのステージ4だと平均的なものなのかどうなのか?っていうところをちょっと知りたい と尋ねたところ、押川先生からは以下のようなご発言があった【要約・改変あり】。ここで、平均とか中央値をどう捉えるについて重要な視点が示されていたように思う。
このご発言の趣旨は、 ●がんの病状や治療方法は個人個人によって多様である。さまざまな条件を抱えた人をまぜこぜにした上での平均値や中央値と比較したところで、予測や治療に役立つような有益な情報は何も得られない。それよりも自分自身がどういう特定の状況に置かれているのかを精査したほうがいい。 といった点にあるかと思う。 ここで念のため復習しておくが、様々な統計的なデータの中には、平均値や中央値をとっても意味が無い場合がある。心理統計学の授業で必ず出てくるように、さまざまなデータは、おおむね4つの尺度水準に分類される。平均値が意味をなすのは間隔尺度または比率尺度に限られる。中央値は順序尺度、間隔尺度、比率尺度に限られる。例えば地震の震度は順序尺度であり、「平均震度」を算出しても意味は無い。IQスケールも順序尺度と見なされている。 上記のようにまずは尺度水準に留意する必要があるが、さらに強調しておきたいのは、データ自体が平均できたとしても、その平均値が有用であるとは必ずしも言えないという点である。 押川先生が指摘された点にもあてはまることだが、例えば「平均寿命」とか「平均余命」というのは、生命保険会社が終身保険の支払いのためにどのくらいのお金を用意すべきだとか、年金問題をマクロ経済の視点から分析するという場合には有用な情報となる。しかし、一個人である私があと何年生きられるのかという点では、平均余命は殆ど参考にならない。あと5年生きるか、10年生きるか、20年生きるかというのは現時点での健康状態と老化の進行状態、さらに確率的なリスク(事故、がん発症など)にかかっており、平均余命は何の参考にもならない。さらに言えば、平均寿命は国・地域によって異なっており、こちらの資料(2025年)によれば、1位の日本は84.46歳、185位のレソトは51.48歳であるというが、仮に私が日本人ではなくレソト人であったと判明したとしても私の余命が短くなるわけではない【←衛生環境や医療環境の問題から、レソトに移住すれば早く死ぬ可能性は大であるが】。 平均値や中央値が意味をなさないというケースは他にもある。
ま、シンプルに考えるならば、 ●周りと比較しても意味は無い。自分のことは自分独自の個体内比較として考えよ【だからこそ『じぶん更新』の点検が大切】。 ということになるかと思う。もちろん、生物学的な制約【←例えば「どんなに長生きしても120歳まで」】から逃れられない部分はあるし、突出せずある程度周りと調和していく必要もあるが。 |