【小さな話題】「ブラタモリ三軒茶屋」、「100カメ 朝ドラ『あんぱん』/第1話の冒頭シーン」
6月上旬に視たTV番組の中で印象に残ったもの2本についてのメモと感想。
- 6月7日初回放送 NHK総合 ブラタモリ『三軒茶屋』東京・三軒茶屋▼三茶の発展は江戸の流行が鍵!?三軒の茶屋は今
上掲の画像に示すように、世田谷区・若林で生まれ育った私にとっては三軒茶屋は東京都内で最も馴染みの深い場所の1つである。私が子どもの頃は若林から渋谷まで『玉電』一本で行くことができた。また三軒茶屋乗り換えで二子玉川園に行くこともできた。
三叉路の角(『三角地帯』の頂点のところ)には管制塔のようなものがあり、下高井戸方面と二子玉川園方面のポイント切り替えが人力で行われていたがそのうち機械化された。私の記憶では、電車の行き先表示板は、下高井戸行きが赤色、二子玉川園行きは白色になっていて遠くからも区別できた。玉電の三軒茶屋の電停は、下高井戸方面と二子玉川園方面が別々に分かれており、乗り換えの際には『三角地帯』の中を通ると近道になっていた。
三軒茶屋は、『世田谷通り』と『国道246号[※]』の分岐点になっているが、今回の放送によれば、どちらの道も再び合流し、大山詣に行くことができる。なのでどちらも『大山街道』。
- 元々の大山街道は世田谷通り。今の国道246号は江戸時代に新しく作られた。
- 世田谷通りのほうは江戸に農産物等を運ぶ大八車で混雑していたため、そのバイパスとして国道246号に重なる道が作られた。
[※]放送では「国道246号線」と表示されていたが、ここでは正式呼称として「線」を取り除いた「国道246号」と表記する。
三軒茶屋の地名の由来になった3軒の茶屋は『角屋』、『しがらき石橋楼』、『田中屋』であるが、このうち『田中屋』は今でも11代目が『田中屋陶苑』として営業している。但し茶屋自体は明治の中頃に瀬戸物屋に転業した。
放送の終わりのあたりでは『三角地帯』の特徴が解説された。三角地帯は1945年5月の空襲で焼け野原になったあとのヤミ市が起源であり、今も道筋は変わっていない。この道筋は国道246号と垂直になっており、二子玉川園方面の玉電の電停から入って行きやすいようになっていたと説明された。もっとも、当時、この電停で下車した人がどれだけ居たのかは不明。下高井戸方面からは入りにくいとも言えるし、そもそも下高井戸方面と二子玉川園方面はいずれも渋谷から直通だったので三軒茶屋で乗り換える必要は無かったはず。なので、道筋が国道246号と垂直になっているという理由で三角地帯が繁栄したという理由はイマイチ分からなかった。
そもそも三軒茶屋が商店街として発展したのはなぜだろうか? Copilotに尋ねたところ以下のような回答をいただいた。
- 江戸時代の「お休み処」としての始まり
三軒茶屋の名前の由来は、江戸時代中期にこの地にあった3軒のお茶屋(信楽、角屋、田中屋)にあります。これらのお茶屋は、神奈川県の大山阿夫利神社へ向かう参拝客の休憩所として栄え、多くの人が立ち寄る場所となりました。
- 交通の要衝としての発展
三軒茶屋は、世田谷通りと国道246号が交差する地点に位置し、江戸時代から多くの人々が行き交う場所でした。特に、大山阿夫利神社への参拝ルートとして利用され、商業活動が活発になりました。
- 戦後の闇市と商店街の形成
戦後、三軒茶屋駅周辺には闇市が形成され、多くの商店が集まりました。その後、1950年には**アーケード型の「エコー仲見世商店街」**が誕生し、昭和レトロな雰囲気を残しながら発展を続けました。
- 再開発と現代の商業エリア
1923年の関東大震災後、多くの人が三軒茶屋に移り住み、街の活気が増しました。その後、1981年から大規模な再開発が進められ、キャロットタワーやサンタワーズなどの商業施設が整備され、現在の賑わいにつながっています。
もっとも1.や2.は現在の繁栄とは直接結びつかないように思う。私の考えでは、人口約95万という北九州市の人口約91万を超える世田谷区の住民、とりわけ世田谷線沿線と国道246号&田園都市線沿線の住民がわざわざ渋谷や新宿まで出かけなくても生活必需品等を手に入れたり気軽にショッピングを楽しめる場所として繁栄しているというのが一番の理由ではないかと思われる。
- 5月26日初回放送 NHK総合 100カメ『“朝ドラ”あんぱん 日本の朝に元気を届ける!舞台裏/第1話の冒頭シーン』
朝ドラ『あんぱん』撮影の舞台裏について興味深い話題が取り上げられていた。
高知弁の方言指導のところでは、
- 「ありがとう」→標準語の「駿河湾」の「するが」に数字の「とう」をつけたときのイントネーションと同じ。
- 「夢が」→標準語の「Ω(オメガ)」と同じイントネーション。
という場面があった。なるほど、方言の独特なイントネーションは、その単語ごとに個別に覚えるのではなく、その人がよく使っている別の単語のイントネーションに合わせて覚えていったほうが楽なようだ。私も簡単に高知弁の「ありがとう」と「夢が」を覚えることができた。
もう1つ驚いたのは、撮影は必ずしも第1話からストーリー順に行われていくわけではないということ。「家セット」、「学校セット」、「カフェセット」というように、異なる話の複数シーンは同じセットごとにまとめて撮影される。
そう言えば『冬ソナ』でも、遅刻したユジンとチュンサンが高校の塀を乗り越えるシーンと、チュンサンが事故死したと聞かされたユジンが湖で友人たちとチュンサンに別れをつげるシーンは同じ日に撮影されたと聞いたことがあった。俳優さんたちも、感情表現の切り替えで苦労されたことだろう。
なお6月7日深夜には『あんぱん ダイジェスト版』の第1週が再放送されていた。冒頭ですでに結婚生活を送っている嵩とのぶが自宅の仕事場で会話を交わすシーンがあった。第1話放送時はまだ録画しておらずNHKプラスでザッと視聴しただけでこのシーンのことを覚えていなかったが、今回の再放送でようやく確認することができた。
このシーンを入れているということは、子ども時代から始まるストーリーで何が起こるか分からないとしてもそれらはすべて回想であり、主人公ののぶと嵩はいずれ結婚することと、『アンパンマン』の創作で成功を収めることが前提となっていることを意味する。なので視聴者は、いずれは嵩と再婚することを知った上で、のぶと次郎が結婚するシーンを視ることになる。
こういう「前提シーン」が必要かどうかは素人の私には分からないが、例えば『冬ソナ』の第1話がユジンとチュンサンの結婚後の生活シーンから始まっていたらまことに興ざめにならざるをえない。ま、今回の朝ドラは、「出逢い→恋愛→困難を乗り越えて恋愛成就」ではなく、「幼なじみ→交流→別の人と結婚→死別→再婚」という複雑な展開になっているため、視聴者を安心させる意味で「前提シーン」を付け加えたのかもしれない。
念のためCopilotに
●NHK朝ドラ『あんぱん』の第1話は冒頭ですでに結婚生活を送っている嵩とのぶが自宅の仕事場で会話を交わすシーンから始まっていますが、ドラマの第1話冒頭にドラマの結末を表す「前提シーン」を入れたことにはどのような意味があるのでしょうか?
と尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
『あんぱん』の第1話冒頭に結末を示唆する「前提シーン」が入れられたのは、物語のテーマやキャラクターの成長を際立たせるための演出と考えられます。この手法は、視聴者に物語の最終的な着地点を示しながら、その過程をじっくりと見せることで、ドラマの展開に深みを持たせる効果があります。
特に『あんぱん』では、主人公・嵩が「正義とは何か?」という問いを投げかけるモノローグから始まり、その後、妻・のぶとの日常的なやり取りが描かれます。この構成により、視聴者は嵩の人生の終盤における価値観を知った上で、彼がどのようにしてその考えに至ったのかを追体験することになります。
また、この「前提シーン」は、ドラマのテーマである「アンパンマン誕生の思想」にも関係しているようです。嵩が「お腹をすかせた人に一切れのパンを届けることが、決してひっくり返らない正義だ」と語る場面は、物語全体の核となる価値観を象徴しており、視聴者に強く印象づける役割を果たしています。
このような構成は、視聴者に「この夫婦がどのようにしてこの価値観を築いていったのか?」という興味を持たせ、物語の進行に対する期待感を高める効果があると言えるでしょう。今後の展開が楽しみですね。
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