じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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津山線の法界院駅北側で古くなった木製枕木をコンクリート枕木(PC枕木)に取り替える工事が行われている。半年ほど前に隣接区間で工事が行われた時に、取り替える枕木にはコンクリート製と木製があり、このうち木製の枕木はレールの接続部分に使われることが分かった。 今回改めて観察したところ、コンクリート製枕木は写真Aが殆どであるが、所々に1本ずつ、Bのタイプが置かれていることに気づいた。 このBタイプは、レールを受ける部分がコンクリート剥き出しになっているほか、写真の黄色い枠で示すように何かを取り付けるネジ穴のようなものが合計10個空いていた。 次にBタイプがどの場所に置かれているのかを調べたところ、Cが示すように、線路の間に何らかの箱のようなものが設置されていることが分かった。 箱のようなものはDのほか、既に工事が終わった区間ではEのようなタイプもあることが分かった。ということでBのいタイプのコンクリート製枕木は、これらの装置を取り付けるためのネジ穴つきの特別の枕木であることが分かった。 なお線路の間の箱のような物について画像検索したところ、以下のような説明があった。 画像に写っているのは、鉄道の**地上子(ちじょうし)**と呼ばれる装置です。とのことであった。 |
【小さな話題】戦略的悲観主義(3)Noremと押川先生の比較 9月26日の続き。前回の日記でも述べたように、私自身が最近になって「悲観主義」に関心をもつようになったきっかけは、押川先生のYouTube動画であった。 但し、押川先生の考えは戦略的悲観主義を体系化したものではなく、がん治療の積み重ねから経験的にたどり着いたものであった。ということでChatGPTに、押川先生の「悲観を土台にした楽観主義」と、Julie Norem の「戦略的悲観主義/戦略的楽観主義」を比較して整理してもらった。
私自身は基本的には戦略的悲観主義であるが、Noremが「最悪を想定しつつ徹底的に準備」と言うほどに「徹底的」に構えようとは思っていない。私のもう1つの基本的な考え方は、 ●なるようにしかならない。されど、それなりに、やれることはやる。 である。前半の「なるようにしかならない」というのは最悪の事態に至っても事実は事実として受け入れるということであり、その後どうなるのかについては戦略的悲観主義の立場から準備をする。といっても徹底的に準備するのではなく、無理をせず、日頃の活動を制約しない範囲で「それなりに」対策をとるということだ。 |