じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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半田山植物園内のイチョウの大木。12月1日(月)には黄葉の見頃を迎えていたが【写真上】、休園日を挟んで翌々日の12月3日(水)にはかなり葉を落としていた【写真下】。 |
【連載】3か月でマスターする古代文明(8)見直される“文明の始まり”/「日本神話・天皇制」と「四大文明」 昨日に続いて、表記の番組の感想・考察。本日は、 ●(1)衝撃!最古の巨大遺跡 見直される“文明の始まり” を取り上げる。 放送ではまず、番組ナビゲーターの関雄二さんが紹介された。 ●関さんは国立民族学博物館の館長をつとめておられ、南米のアンデス文明のフィールドワークを中心に考古学と人類学を融合させながら「人類の歴史」を見つづける研究者です。 なおウィキペディアによれば、関さんは1956年のお生まれとのことで私より4歳お若いようだ。国立民族学博物館館長・名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授とのことで、すでに教授職は定年を迎えておられるようだが、管理職としてのお仕事は続けておられるようだ。 続いて学校で教えられてきた『古代文明』のあらましが取り上げられた。
さっそくChatGPTに、 【質問】「四大文明」という言葉は海外では使われていないと聞きました。日本ではどのような経緯で広まっていったのでしょうか? いただいた回答は以下の通り。 「四大文明(メソポタミア・エジプト・インダス・黄河)」という枠組みは、**日本で特に強く普及した独自の歴史概念**です。海外では一般に使われず、日本の教育史の中で定着したものです。以下、日本で広まった経緯をわかりやすく整理します。 # ■ 日本で四大文明が広まった経緯
# ■ 海外ではなぜ使われないのか? 理由はシンプルで、海外の学術では:
つまり、**“四大”という枠組み自体が日本の教育向けの合成物**だからです。 # ■ まとめ 日本で「四大文明」が広まった背景は――
ここで1つ疑問になるのは、四大文明は「1920〜1950年代:歴史教科書で整理概念として採用される」というように戦前からすでに採用されていたと説明されていた点だ。日本神話や天皇制を重視した戦前の歴史教育と、日本以外で誕生したとされる「四大文明」の概念は矛盾しなかったのだろうか? この点についてChatGPTに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。 とても鋭いご質問です。 結論から言うと―― # **■ 戦前の歴史教育(日本中心史観)と「四大文明」は、** # **矛盾を内包しつつも「うまく接ぎ木」する形で共存していました。** それは、戦前の歴史教育が**日本神話 → 皇国史観(天皇を中心とした国史) → 世界史(西洋文明)**という“段階的な序列構造”で作られていたため、「四大文明」のような海外起源の文明も日本中心の枠組みの中へ取り込めたからです。 以下、戦前の教育カリキュラムと実際の教科書の特徴に基づいて整理します。 ◆戦前の歴史教育の基本構造 戦前教育(特に1890年代〜1945年)では、
◆戦前教育は「世界文明の序列化」を行っていた 戦前の教科書は、文明を次のように階層化していました。
この階層化があるため、 ### ● 四大文明は“文明の出発点” ### ● 日本は“文明の完成形に近い独特の国家” という、現在から見ると不自然なまとめ方がされました。 そのため、**四大文明を教えても日本神話と矛盾する、という認識にはならなかった**のです。 ◆「四大文明」という語そのものは戦後に一般化 なお、現在の形で「四大文明」という“固定語”になったのは戦後で、戦前にはまだ「四大文明」という語はさほど一般的ではありませんでした。 しかし、**文明の起源を4つ(または複数)に分類して教える枠組み**自体は戦前にも確かに存在します。 ■ 結論 戦前の日本では、
という理由から、**「日本神話・天皇制」と「古代四文明」は矛盾せず共存できた** ということになります。 以上、 ●外国文明は「世界史的知識」として処理。日本神話・天皇制とは領域が違う というように解説されていたが、外国の文明はピラミットや都市遺跡などがはっきり残っていることで証拠づけられるのに対して、日本神話は当然のことながら遺跡の存在をもって証明することはできない。日本神話が書かれている通りであるなら日本にも外国の古代文明に匹敵する遺跡があるはずだという疑問は生じなかったのだろうか? この点はよく分からないが、日本では皇国史観とは別に古来から山や岩や巨木などには神が宿るという考えがあったため、人工的な遺跡が見つからなくても、自然のご神体があればそれで十分だと思われていたのかもしれない。 ちなみに私自身は戦後の教育を受けてきたので、「四大文明」が栄えていたころ、日本列島では毛皮をまとった野蛮人たちが狩りをしたり果物を採集したりして原始的な生活をしていたというように習っていたように思う。 不定期ながら次回に続く。 |