じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
【思ったこと】
971227(土) [一般]「霧」の思い出 岡山に引っ越してきてから今年度で7年目になるが、今朝は、これまででいちばん深い霧がかかった。霧でも雪もそうだが、毎日眺めている何の変哲もない風景がいつもと違った景色になるのは興味深い。さっそく、朝8時前から、いつもの日記の更新も後回しにして、デジカメ片手に大学構内をまわって写真を撮った。 霧に包まれた大学構内の写真 ここでいつもの思い出話になってしまうが、東京に生まれの私は、本物の「霧」というものを見ずに育った。いまあまり使われなくなった「スモッグ」しか縁がなかったのである。小さい頃呼んだトッパンの絵本「青い鳥」で、チルチルとミチルが、最初に死んだおじいさん、おばあさん、兄弟の家を訪ねる場面がある。その家は深い霧に包まれていて、二人はそれが晴れるのをしばらく待っていた。これが霧にあこがれるようになったきっかけであり、以来、一度でよいから本物の霧を見たいものだと思っていた。 しかしその後、山登りをするようになってからは、霧(ガス)はむしろ嫌なものになってきた。いくら苦労して登っても頂上が霧に包まれていたのではせっかくの眺めが台無しになるからだ。いちばん怖い思いをしたのは、北海道の駒ヶ岳に単独登山した時のことであった。この山の山頂部は、名前の通り馬の背中のようになっていて、晴れていれば問題ないが、1回目の登山の時は深い霧に包まれていた。登山道からちょっと外れた岩影で弁当を食べた後のことである。さて登山道に戻ろうとしたが、どっちの方角だったかまったく見当がつかない。行き当たりばったりに歩いているうちに、完全に道に迷い、危うく遭難しかけたことがあった(2回目の登頂時に撮影した写真はこちら)。 もうひとつ、夏休みに東京からジェット機で釧路に行った時にも怖い思いをしたことがあった。ジェット機は着陸寸前に深い霧の中にもぐりこんでいったが、車輪を出して滑走路に着くかどうかという寸前に、機長の判断で再上昇、これをもう1回繰り返したのち、諦めて帯広に降りることになったが、あまり飛行機慣れしていないこともあって、着陸のやり直しというのはあんまり気分のよいものではなかった。 いっぽう、霧の美しさに魅せられたこともあった。以前ホームページの某所に貼り付けてあったパタン(ネパール)の朝(3KB)[大サイズ55KBはこちら]。それと、こちらは「冬のシベリア鉄道」を旅行した時に撮影したアンガラ川。写真のように、流れがあるために凍結していない川の水面から霧が立ち上り、川岸に向かっていく。気温は氷点下20度以下なので、たちまち霧氷となる。いずれも20年ほど前の写真。 霧の風景も雪景色も、時たま見られるから価値がある。上でも述べた釧路の霧など、毎日のように押し寄せてくると心も暗くなってしまいそうな気がする。雪も同様で、私のような東京育ちの人間は降るたびに心がおどるが、日本海や北海道に住む人々にとってはのんびり雪景色を満喫できるような生活ではなかろうと思う。 |
【ちょっと思ったこと】 |
【新しく知ったこと/リンク情報】
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【生活記録(翌日朝まで)】
<昼食後のひととき>
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【夫婦の会話】
(妻はまだ年賀状を1枚も書いていない。それはそれとして、先日、私と息子、娘の年賀状を投函した時に、娘の作ったもので宛先が書いていない年賀状まで出してしまった。その一部で差出人住所だけを書いたものが本日「宛先不明」で戻ってきた。ところが、差出人も書いていないものが10-20枚近くあったことが判明した。これは誰が出したかわからないから、さすがの郵便局も「宛先人不明・差出人不明」として処理せざるをえないだろう。)
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【親子の会話】 |
【新聞記事のメモ】
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