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980319(木) [一般]「尊敬する人」をもつことの効用 きょうは長時間の会議があったので、短めに、昨日の日記に関連して、「尊敬する人」についてちょっとだけ考えてみたい。 要点を先に言えばこういうことだ。小学校、中学校、高校と成長していく過程で、「尊敬する人」をもつことはその人の人生にプラスにはたらくのだろうかということだ。もしプラスになるのなら、いろんな偉人の伝記を読ませる必要があるし、校長先生も家庭の両親も、少なくとも子供の前では尊敬されるように「演じ」なければならない。いっぽう、昨日の日記でふれたように「生身の人間はだれでも欠点を持ち、時に悩み、時に誤りをおかす、ということを事実として受け止めた上で、他人の良い面は学び、悪い面は反面教師として、自分の生き方に取り込んでいく」という生き方のほうが主体性のある人間形成にプラスになるというならば、あえて「尊敬する人」など作る必要がないということになる。 フランケンさんの日記への感想という形で裏日記にも書かせていただいたが、おそらく、幼稚園や小学校低学年のうちは、架空のヒーローでも、実在人物の虚飾でもよいから、何かあこがれのようなものがあると動機づけにプラスに働くかもしれないと思う。ただ、中学、高校と進んでも、なお依然として、特定人物のコピーをめざすような生き方は、人の勝手と言えばそれまでであるけれど、私個人としては何だかあんまり面白味がない生き方のように思える。 小学校以来、「尊敬する人は誰ですか?」と何度も聞かれたが、はて誰の名前をあげただろうか。たぶん低学年の頃は、伝記絵本の影響を受けて、エジソン、シヴァイツァー、野口英世、リンカーン等を挙げたのではないかと思う。中学以降は、ガウスとかガロアといった数学者を挙げたこともあったと思うが、はっきり記憶していないぐらいだから、たぶん尊敬する人は居なかったのだろう。心理学者の中には、行動分析学の創始者のB・F・スキナーを初め、その著作の内容に強く惹かれるような研究者がいることは確かだ。ただ、尊敬しているか、と聞かれると、何とも答えにくい。 『新明解』によれば、「尊敬」とは その人の言動・業績の中に非凡な点のあることを認め、自他の模範に足る存在として仰ぎ見ること。となっている。非凡な点のあることを認め、それを一部模範とすることはよいのだが、「仰ぎ見る」ということがどこまで具体的行動に現れているかは定かではない。 2/12の日記の「スクラップブック」に引用したように、かつての刻苦勉励型の「偉人」に代わって、今井通子氏、ビル・ゲイツ氏、ダイアナ元妃を主人公にした伝記本が登場しているとのこと。3/20は、たまたま地下鉄サリン3周年にあたる。歪んだ「尊敬」は自己の喪失にさえつながる。まあ、特定人物「像」に全面的に心酔するよりは、いろんな人物のいろんな側面を知ったほうがよいのかもしれない。 ちなみに、私の子供に「尊敬する人物」は誰かと聞いてみたところ、息子は(1)母親(2)自分(3)祖父(2人)、娘は(1)母親(2)父親(3)担任の先生、という答えが返ってきた。息子が父親を尊敬しないのは「文句ばかり言う」からだそうだ。 |
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