【思ったこと】
980825(火)[自然]蝶は生きていたが(続き):正確な科学的記述か、感動を伝えるフィクションか 8/24の日記では、羽根とシッポが食いちぎられながらも必死で飛んでいた蝶の写真をとりあげたが、きょうの朝、またまた同じ場所を飛んでいるオレンジ色の蝶が居たのでよくよく見ると、8/24の日記に掲載した左側と右側の写真は、じつは別の種類である可能性の高いことが分かった。そこで8/25の朝に、羽根の表と裏の模様をいろんな角度から撮影してみた。左側はそのうちの1枚。この蝶が羽根をたたんだ時の模様は、きのうの日記の左側の写真と全く同じであることも確認できた。羽根が食いちぎられたほうの蝶は、ツマグロヒョウモンのメスで、ぢょしゅとほほ日記さんの8/25の記述によれば、どうも鳥に食いちぎられたらしい。また、本日掲載のほうの蝶は、図鑑で見る限りではウラギンヒョウモンであろうと推測される。 昨日の日記は、結果的には一部フィクションになってしまったわけだが、、あのままの記述にしておいたほうが、「虫に学ぶ人生の教え」としては効果的かもしれない(逆に、「交尾・産卵して子孫を残すことは出来ない生物としての意味は無い」という人生の教えになったりする危険もあるが)。 そういえば、「野生のエルザ」の映画なども、一頭のライオンとの関わりを描いたように見せかけていながら、じつは何頭ものライオンが主人公を演じていたのだと聞いたような記憶がある。ま、大げさに言えば、正確さを重んじる科学的な記述と感動を伝えるフィクションとの違いであると言えないこともない。 余談になるが、動物の行動を正確に理解するためには、個体数とか平均値の比較ではなく、個体差を前提とした個体レベルでの役割や生活史に焦点をあてることも大切である。例えば、鳥の観察をする時に、干潟にどういう種類の鳥が何羽やってきたかというだけでなく、一羽の鳥が毎日どのように移動し、別のどの個体とどういう関わりをもつのかを観察することが大切だ。 こういう個体重視の研究で世界的な名声を得たのが、今西錦司はじめ、河合雅雄、伊谷純一郎、川村俊蔵といった日本の霊長類学者たちだと言われている。ま、私も経験があるがサルだったらば、個体の識別はそれほど難しくない。しかし昆虫となると、昨日と同じ蝶なのか全く新しい個体なのか、マークでもつけないかぎりは容易ではあるまい。 動物の話題が続いたついでにクイズなど1つ。さて、右の顔は何という名前の動物でしょう(昆虫とは限らない)。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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