じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
マツバギク。乾燥に滅法強い。いつも不思議に思うのだが、この花、色によって咲き始めの時期が微妙にずれる。いちばん早いのは黄色。ついで白[この写真には無し]、それからこの写真でいちばんたくさん咲いている赤、あとは小型のピンク、そのあと最もポピュラーなピンクが咲き続ける。 |
【思ったこと】
990512(水)[教育]中学校の先生には誰がなるのか 中学校の先生になるためには、大きく分けて2つのコースがある。1つは、教育学部に入学して国語、数学、英語、理科、社会といった教室に分属して必要な単位を取得するコース。もう1つは、文学部や理学部などでそれぞれの科目に対応する専門分野を研究し、合わせて教職科目を取得して免許を得るというコースである。例えば同じ国語の先生であっても、教育学部で国語教育の課程を学んで卒業した人もいれば、文学部の国語・国文学の講座を卒業して先生になった人がいる。数学の先生の場合にも、教育学部の数学教育課程を卒業した人と、理学部数学科を卒業した人がいるわけだ。 ところが、最近、教員免許法が改正され、このうちの後者、つまり教育学部以外を卒業して教員になることが難しくなる恐れが出てきているという。 手元にある資料によると、新しい免許法では、中学校一種免許を取得するために必要な単位のうち教職科目が12単位分増やされている。また小・中学校の教員志望者には、障害者や高齢者の介護体験が義務付けられており、教員志望者は、特別養護老人ホームなどの社会福祉施設と盲・ろう・養護学校でボランティアとして七日間以上、介護や入居者との交流などの体験を行い、施設から証明書をもらい、教員免許の申請時にこの証明書を提出するしくみになっているらしい。 このことがなぜ教育学部以外から中学教員になる道を狭めるのか。
たしかに、1つの見方として、全国の中学で問題となっている、不登校、いじめ、校内暴力、非行、学級崩壊などに対処するためには、専門の教科に詳しい先生よりも、教え方や生徒の生活指導が上手な先生を養成する必要があると主張するのは妥当であるように思う。しかし、我々の中学・高校時代などを振り返ってみても思うのだが、果たして「教え方が上手な先生」から学ぶだけでその科目への学問的興味がわくだろうかという疑問が出てくる。 いや、別段、教育学部卒業の先生が学問に興味が無いと言っているわけではない。ただ、入学時の志望動機から言っても、もともと「○○を教えたい」ために大学に入ってくるのであって、「○○という学問を研究したい」という動機で入ってくるわけではない。中学・高校の生徒は、「○○を教えたい」先生よりも「○○という学問を研究したい」先生を通じてその科目に関連する学問に興味をいだく場合があるのではないか、と思ってみたりする。 その他、7日間程度の介護体験を義務づけたからといって、それだけで実習生が思いやりの心をもつようになるとも思えない。そういうものは、教員になってからあとに、日々の実体験や研修を通じて磨き上げていくべきもので、免許取得前の段階で一朝一夕に身につけさせるようなものではないだろう。 資料不足のため今回はこのへんにしておくが、どうも、いまの世の中には、いじめや不登校対策のかげに教員養成系大学・学部による「就職市場確保」のねらいがあるような気がしてならない。教育学部が教員養成学部で無くなるとするなら、むしろ学部間のバリアを取り除き、全学体制で教員養成をサポートすべきであろう。単なる思い違いであればよいのだが...。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【5LDKKG作業】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】
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