じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 自宅から車で20分ほどのところにあるRSKバラ園。いまがちょうど見頃。写真は娘に撮影してもらった夫婦の写真。


5月22日(土)

【思ったこと】
990522(土)[日記]批判メイルを受信しない自由、他のサイトを読まない自由


 ネット上で日記を書くことによって受信する可能性が増えるメイルには次のタイプがある。
  1. 歓迎されるメイル:日記の中で挙げた疑問について情報を提供してくださるメイル、私の勘違いを指摘してくださるメイル。
  2. 歓迎されないメイル:反論メイル、批判メイル、お説教メイル、誹謗中傷メイル、(私の場合は一通も無いが)ナンパメイル。
  3. メイルアドレスを知ることによって勝手に送りつけてくるメイル:勧誘、セールス、ねずみ講、チェインメイル、アダルトサイト案内
 このうち2番目のタイプはしばしば日記作者を動揺させる。一昨日も、ある有名日記作者の方が「読まない自由」というタイトルでこれに関連する話題をとりあげておられた。その一方では、異なる意見を最初から拒否しまうと建設的に収束するはずの議論が成立せず思考停止に終わってしまうことを指摘する向きもある(←特定日記をそのまま引用したわけではない)。

 批判メイル、特に匿名の批判メイルに対する私の考えは、かなり強硬なものであり、
  • 知人や私が拝見している日記作者のHNの方からのメイル、サブジェクトから情報提供であることが確実であると思われるメイルを除いては、読まずに廃棄する。
  • 聞いたことのあるHNであっても、過去に決めつけのお説教メイルを送ってきた人の場合も同様に読まずに廃棄。
 要するに反論があるならご自分のHPで、それを見た上で再反論の価値を認めれば日記上で回答しましょうというのが私の一貫した方針である。 最近は更新するヒマがないけれど、「血液型性格判断」がらみの話題を取り上げると、匿名の批判メイルがやってくることが多かった。そこで、資料集の冒頭には、
個別にはお返事できません。反論やご意見は御自分のホームページにご披露の上、urlのみお知らせください。期限はお約束できませんが、こちらから言及する必要を認めた場合には、私のWeb日記で取り上げさせていただき、後日このコーナーに再掲いたします。
という但し書きをつけてある。

 これらの方針は、決して反論を受け付けないと言っているのではない。反論をするならば、私個人に対してではなく、不特定多数の目に触れるようなHPの上で、責任の所在を明らかにしたうえで堂々と反論してほしいと言っているだけのことである。

 私が個々の反論に答えない理由は2つある。
  • 1つは、いま述べたように反論をするならちゃんと責任の所在を明らかにしてほしいということ。個人的なやりとり、特に匿名者からのメイルではこの点が曖昧になりやすい。
  • もう1つ、ネットの本質として、HP開設者と読者は「一対一」の関係ではなく、「一対多」になっているということも個別的な応答を難しくしている。反論をする人は1人を相手にメイルを書いていればよいけれど、それに答える側は相手が10人なら10倍、100人なら100倍の時間と労力を要するものである。
 では、反論がHPに掲載された場合、必ずそれを読んで再反論しなければならないのか。それもNOである。このことは「血液型性格判断」絡みの話題の中でとりあげたことがあるが、私の原則は次のようなものである。
  • 相手方の行動の制約につながるようなコンテンツ(例えば、質問ばかりを並べたてるようなコンテンツ)は避けよう。相手方の記述の足りないところを問い合わせるような最小限の質問はよしとしても、何項目にもわたって「〜についてはどう思われますか」、「〜という私の考えは正しいと思いますか」というように、新たに意見の提示を要求するような内容は、相手が不正行為でもしていない限り控えるのがエチケットというものだろう。文体が丁寧ならいいとか乱暴なら悪いとかいう問題ではなくて、そういう行動をとること自体の問題としてご理解いただきたい。
  • 相手方から反応が無かったからといって、相手が逃げたとか反論できないといった印象を読者に与えるような記述は避けよう。単に「メイルで問い合わせたがお返事は無かった」と書けばよし。
  • 相手方には、反論ページにアクセスする義務は一切無い。無視されたり、いや、それ以前の問題として認知されていなかったからといって、愚痴をこぼすのはやめよう。これは自戒の意味を込めて言うことだが、自分のホームページの非力や無名さをというものをもっと自覚したいものだ。ともすれば、ネット上で意見を述べれば全世界の人が読んでくれるような錯覚に陥りがちである。実際の読者は、私の日記の場合でせいぜい1日に100〜200人。ちょうど、1つの教室で一般教育心理学の受講生相手に話をする程度の規模である。コンテンツに自信がある人(私は無い)はジッと待てばよい。文字通りのWeb上の蜘蛛に成りきることだ。
 最後に、実名を挙げて(明らかに相手が特定できるようなイニシアルの使用を含む)相手を批判するのであれば、よほどの事情が無い限りは、堂々と実名を名乗り責任の所在を明らかにした上でサイトを立ち上げて欲しいと思う。「血液型性格判断」絡みの話題で主張したことを再録すれば、
  • 匿名で批判を続ける人は、HPの存続に当たって自分を守る必要がない。イヤになったらヤメしまえばよい。いつヤメても私生活では何の不都合も生じない。気が向けば別のサーバーから別のHP立ち上げればよいだけ。いっぽう、実名で批判を受けた人は、枝葉末節な点に至るまで反論や追加の説明を加えなければ、実生活全般にわたって信用を失うおそれがある。極端に言えば自分のクビをかけて、発言の内容の社会的責任を負わなければならない。この点、匿名サイトはまことに気軽なものだ。
  • 匿名のサイトの主宰者は、そこに記されているコンテンツの範囲でしか批判されない。これに対して、実名のサイトは、HP以外のあらゆる著作物や発言を引用して批判される。
  • 匿名で批判する人は、じぶんの主張内容には何の体系性、何の一貫性がなくても、相手の主張をローカルな(つまり断片的な)理屈だけで反論することができる。違う基準(スタンダード)で反論する時には、別のハンドルを名乗ることだってできる。
 上に述べたのは、ネット上で議論をする場合の一般論であって、Web日記作者が匿名で意見を表明することを批判しているわけでは決してない。日記の場合には、まず何よりも周囲の人に迷惑がかからないような配慮が必要であり、特に私生活公開系の日記を書いている人の場合にはどうしても匿名にせざるをえない事情がある。このほか、政治家、タレント、マスコミなど特に公共性の高い対象について(誹謗中傷にならない範囲で)批判や皮肉を述べる場合には、いちいち実名を公開しなければならない義務は無いと思う。
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと】
【生活記録】
【5LDKKG作業】
エンドウとソラマメを収穫。土を掘り返す。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】