5月23日(日)
【思ったこと】
990523(日)[日記]執筆開始二周年記念(5):「じぶん更新日記」にいちばん似ている日記
他の話題を取り上げたため1週間ぶりになってしまったが、先に行われた執筆開始二周年記念アンケートの結果報告の続き。本日は
Q3.総合的に判断して「じぶん更新日記」にいちばんよく似ているWeb日記を1つあげてください。
という質問に対していただいた御回答を集計した。
日記名(略称) | 実数 | グラフ |
ちはるの多次元尺度構成法 | 11 | *********** |
MADE IN JAPAN | 3 | *** |
よろずや談義 | 2 | ** |
集計はしてみたものの、複数票があったのは上の3日記のみ。ほかには「がくもんにっき。」、「ぢょしゅとほほ日記」、「愚一記」、「胡桃の中の航海日誌」など、私もよく拝見するac.jp系の日記をあげた方もおられたが複数票には到らなかった。「オリジナル性が高いので特にないです」というお答えもあった。
さて、このアンケートは昨年も実施しており、その時の結果は昨年5月26日の日記に集計されている。その時は「よろずや談義」さんが31通の回答中10票、ほかに複数票があったのは、「いい加減な毎日」さん、「神田日記」さん、「ずくなし日記」さんの3日記であった。
|
【ちょっと思ったこと】
- 貸家前の畑で草取りをしていたところ、隣の畑との間にある溝に、近所の小さい子がザリガニを釣りにきた。スルメを糸でくくって竹竿でつるした仕掛けだがなかなか釣れない。しばらくして、隣の畑で農作業をしていたおじさんが、「ほれ大きいのを採ってやろうか」といって、水撒き用の柄杓で溝からザリガニをすくい上げる。ところが、その子、少々迷惑な顔をして、再びザリガニを釣り続けた。
こういう光景は日常けっこう見られるものだ。その子供は、ザリガニという「物(=好子あるいは正の強化子)」が欲しかったのではない。自分の仕掛けでザリガニを釣り上げるという「行動とその結果」のセットを求めていたのである。大げさに言えば、私がよく引用するスキナーの言葉:
“Happiness does not lie in the possession of positive reinforcers; it lies in behaving because positive reinforcers have then followed. 幸福とは、正の強化子を手にしていることではなく、それが結果としてもたらされたがゆえに行動すること”(訳は佐藤方哉先生による。行動分析学研究、1990, 5, p.96)”
をまさに実証するような光景だった。
- ところでこのおじさん、私が立ち寄る時にはたいがい作業をしておられる。すでに定年退職され悠々自適の生活をされているらしい。トマトの支柱の立て方、トウモロコシの間引きのしかた、ソラマメやタマネギの収穫のタイミングなど、私もいろいろ教えてもらっている。趣味の範囲にとどまる限り、農作業ほど強化的なものはない。努力の量に応じて行動内在的な結果が確実に伴うからである。今日は、今年最初に穫れたキュウリをもらった。水道でちょっと洗ってからかじってみるとさすがにうまい。しかしこのキュウリの本当の美味しさは、おじさんでなければ味わえない。なぜなら、私が味わうキュウリは収穫されたキュウリ(=the possession of positive reinforcers)にすぎない。本当の美味しさは、丹誠込めてキュウリを育てそれを収穫すること(=behaving because positive reinforcers have then followed)にあるからだ。
|
【新しく知ったこと】
- 夜、息子が「特命リサーチ200X!」という番組を見ていた。その中で、タイムマシンが実現不可能である理由として、「もしが実現可能であるとするなら、いまどこに未来から来た人がいるのだ?」というロジックがあった。確かに、現在の世界の諸現象が現在の物理法則ですべて説明可能であり、人間や生物の誕生もすべて過去をたどることで説明できるならば、技術的に可能かどうかという議論は別として「未来からやってきた」という概念は説明概念として不要ということになる。仮に未来人が現在に影響を与えないように異次元から我々を観察していたとしても、「影響を与えない」ことが大前提になっている以上、そのファクターを法則に組み入れる必要は無くなる。
|
【生活記録】
|
【5LDKKG作業】
エンドウとソラマメを抜き取ったあとを耕し、ウリ類、千成りひょうたん、トマトを植え付ける。
|
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】
|