じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
スイセンノウ。この時期には、ムギセンノウ(アグロステンマ)、コムギセンノウ(ビスカリア)など共にセンノウと名のつく花が多い。スイセンノウは漢字では「酔仙翁」と書く。フランネルソウと呼ばれることもある。英語名は「dusty-miller」もしくは「rose campion」となっている。但し英名の前者のほうは白妙菊と同じ呼び方。 |
【思ったこと】
990531(月)[一般]岡大創立五十周年とロッコード事件/よっしゃよっしゃは岡山弁? 岡山大学創立50周年記念式典が駅前のホテルで行われ、私も一教官として出席した。 岡山大学の創立記念日は10月22日であるのになんでこんなに早く?と前から疑問に思っていたのだが、要するに5月31日というのは1949年に新制国立大学69校の設置公布があった日。つまり、岡山大学に限らず、新制国立大学であるなら皆この日に創立されたと考えることができるわけだ。例えば、上野の美術学校と音楽学校を統合して東京芸術大学が創立された日も5月31日である。 その年の入学式は7月28日、授業開始は9月15日であったという。創立記念日の10月22日というのは、「設立既成会主催の岡山大学開学祝賀会が盛大に挙行された日」を記念して設定されたものであり、法律・組織上は特に意味の無い日であることが分かった。 式典の壇上は、こちらから見て、右手に来賓各位、左手に学長(左の写真の演壇)以下部局長各位。来賓は、文部大臣祝辞代読の課長(左の写真の数字1)、石井岡山県知事(2)、萩原岡山市長(3)、国大協会長祝辞代読の愛媛大学長(4)という豪華な顔ぶれであった(後列は歴代の岡山大学長)。 来賓祝辞の中では、文部省役人だけが岡大のことを「貴学」と言わずに「本学」と呼びつつ敬語を使っていたのが興味深かった。文部省管轄の大学だから「貴学」とは呼べないのであろう。そのほか、萩原市長が「これまでの御恩にお応えすべく、今後は、大学の管理運営のお手伝いをさせていただきたい...」というような発言をされていたが(以下、すべて私が記憶に基づく記述なので、聞き間違いや記憶違いがあればご容赦願います)、ちょっと奇妙なロジックであるように思えた。自治体の首長は、独立行政法人化を望んでいるのだろうか... ついで祝電の披露。ここでも、祝電を送ってきた大学と送ってこなかった大学にそれぞれ特色があるように思えたが、実名で日記を書いている立場上、ここで記すことは控えさせていただく。 記念式典に続いて行われたのが、岡山大学一期生の吉永祐介・元検事総長(写真右)の講演であった。吉永氏は法文学部4回生の時に司法試験に合格、東京地検でロッキード事件捜査の主任検事として御活躍され、御講演の内容もその「裏話」が主体であった。 タイトルにある「ロッコード事件」というのは、当時捜査を担当した検察幹部に旧制六高および新制岡山大学出身者が多かったためにそれをもじった皮肉だという。 田中角栄元首相の収賄の明確な証拠とされている「よっしゃ、よっしゃ」発言についても、弁護側から「そのような言葉は新潟弁には無い。岡山弁か名古屋弁ではないか?」という反論があったそうだ。吉永氏自身によれば、岡山弁でも「よっしゃ、よっしゃ」とは言わないそうだが、ホントのところはどうなんだろうか。そのほか検察側承認の榎本前夫人による「蜂の一刺し」裏話や、検事総長在任中のオウム関連事件の苦労話など面白い話もあったが、ここでは省略させていただく。 吉永氏によれば、汚職事件というのは、個人的には被害届けが出てくる一般の刑事事件と異なり、国家が被害者となる事件。それだけに証拠をつかむのが難しく、また逆に検察冥利につきる事件でもあるとのこと。そして検察の役割はいわば「どぶさらい」のようなものであり、さらった後の川が魚の棲めるきれいな川になるか、それとも再びドブ川になるかは国民の手に委ねられていると言っておられた。ちなみに戦後起訴された国会議員は11人にのぼるという。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【5LDKKG作業】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】
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