じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
ノコギリソウ。ノコギリソウは、最もポピュラーで半ば雑草化している白花のほか、ここに挙げた赤花、さらにクリーム色などがある。花期は長く極めて丈夫だが切り花としてはあまり長持ちしない。 |
【思ったこと】
990603(木)[日記]99年5月の日記猿人界(2)新聞がWeb日記を取材することについて(前編) 先日、某新聞社がWeb日記を記事にしたことについて、取材を受けたご本人の方々や記事を読んだ方々からいろいろな感想や意見が表明された。5月の「日記猿人界」の総括の一環として、私も取材のあり方や記事での取り上げ方について何か書いて見ようと思う。 じつは私自身も5月上旬に、この日記を書く理由や「日記をインターネットに載せるというのはどのような心理によるものなのか」ということについて説明を求められたことがあった(同じ新聞社からの取材であるかどうかについてはノーコメントとさせていただく)。その時に丁寧にお応えしておけば何かしら記事になったかもしれないが、私の応対は:
このことでふと思ったのだが、新聞の取材というのは、なぜこのように電話にこだわるのだろうか。いまの時代Eメイルのほうがむしろ正確な取材ができるように思うのだが、どうやら記者さんとしては直接声を聞かないと安心できないらしい。 このほか、直接対面による取材にもかなりこだわっているように思える。そういえば、夜久さんの家には直接記者さんがやって来られたという。夜久さんのお顔や御邸宅の写真を紹介するならともかく、単に デザイナーの夜久則彦さんは毎日、50−100の日記を読み、その批評をつづる“日記読み日記”を書き、「他人の日記を読むと、普通の生活では知り合えないような人の、色々な価値観」にふれている。[長谷川による要約]という事実を記すためだけに 思うに、Web日記取材に限らず、記者さんが直接目で見たこと耳で聞いたことでないと記事にならないらしい。確かにある場面ではこれは事実を正確に伝える上で重要であるとは思う。例えば某国で反政府暴動を政府が弾圧したなんていう時に、政府の公式発表や反政府側の言い分だけを聞いていたのではホントのところは伝わらない。この場合はまさに「百聞は一見に如かず」が成り立つわけだ。 しかし、Web日記取材の場合はちょっと性質が違う。Web日記はみな公開されているわけだから、まずそれを読むことが「一見」であるはずだ。日記を読まずに作者本人に直接会ってきたところで、どれほどの真実が伝えられるのだろうか。どうも旧来の取材方式にこだわりすぎているように思えた。 このほかにも先日の記事内容を含めていろいろ書きたいことがあったが時間が無いので明日以降にさせていただく。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【5LDKKG作業】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】
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