じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
ゴールドスティック。風変わりな容姿が人目をひく。ドライフラワーに好適。なお英語では「gold stick」ではなく「drumstick」。 |
【思ったこと】 _00524(木)[一般]ぼかし言葉 文化庁が23日に発表した「国語に関する世論調査」(今年1月実施、3000人中、有効回答約2200人)によれば、「断定を避ける表現」が若者に広がっているという[調査結果は、こちらにアップされるものと思う)。それぞれの使用頻度は全体では1割弱から3割程度だが、16〜19歳に限ると、「〜とか(“鈴木さんと話とかしていました”)」が48.2%、「〜のほう(“お荷物のほう、お預かりします”)」が45.2%、「わたし的」が42.0%となっており、特に女性では「〜のほう」と「〜とか」は54.0%に達しているという。「自分が間違った時に傷つかないよう、断定を避けて発言をぼかそうとしているのではないか。相手と距離を置いて突き合いたいという、いまどきの若者気質も働いているようだ」という[5/25朝日新聞に紹介されていた文化庁の説明]。 「わたし(ボク)的」という表現については、昨年12月6日の日記でNHKラジオからの話題として一度取り上げたことがあった。その時の出演者(お名前は失念したが、社会学者ではなかったかと思う)の解釈は 「ボクはこう考える。君はどうだか知らないが...」という形で論争を避け、相手に同意も求めず、相手を傷つけないための心配りというもの。傷つけないというのは自分も傷つけないという意味でもあり、結果的に一定の距離を置いた関係を求めていることにもなる。この解釈は、上記の文化庁の説明とほぼ同じ。但しラジオのほうは言葉遣いではなく「優しさ」がテーマになっていた。 12月のラジオを聞いた時の“わたし的”な感想は
それはそれとして、「一定の距離を置いた関係を求める」の実態についてはもっと多面的に分析が必要かと思う。これは、「孤独を求める」こととも違うし、相手との一体化を求める」こととも違う。それと、「わたし的」と言う割には内容のオリジナリティは何もない気もする。 もう1つ、方言の場合もそうだが、言葉遣いは「周囲に染まってしまう」という側面があることを忘れてはなるまい。一人一人に独立的に調査したとしても、周囲に影響を及ぼし合う行動の特徴の場合には、サンプルの独立性は保証されない。1クラスの中でインフルエンザにかかっている人の比率を調べると高めに出るようなもの。「一定の距離を置いた関係を求める」ためにそれを使う人も居るが、特にそういう意図は無く周囲に合わせて使っている人もたくさん居るはずだ。ほかの断定回避表現を含めて、それぞれの表現がどういう状況、文脈の中で使われているのかを細かく調べていく必要があるだろう。 |
【ちょっと思ったこと】
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【今日の畑仕事】
水撒き。タマネギと苺を収穫。 |
【スクラップブック】
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