じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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7月25日(火)

【思ったこと】
_00725(火)[一般]反町隆史よりもピンピンしていた私/キリマンジャロ登山の思い出


 フジTV系の火曜ワイドスペシャル「反町隆史が泣いた!!アフリカ最高峰キリマンジャロに挑む」という2時間番組を見た。21年前のキリマンジャロ登山を思い出しながら、楽しませてもらった。

 キリマンジャロ山(5895m)というのは、ケニアとタンザニアの国境にそびえる山であるようにしばしば誤解されるが、実際は山体のすべてがタンザニア国内にある。私が登った当時は、パキスタンのカラチからキリマンジャロのふもとの国際空港に向かう直行便が出ており、30万円以下の費用でツアーに参加することができた。最近では、ヨーロッパあるいはケニアを経由するコースに切り替えられており、かえって割高になってしまったのが残念である。

 キリマンジャロを登るには特別の登山技術はいらない。巨大な富士山に登るようなものであり、健康で体力のある人ならば誰でもチャレンジできる。問題は高山病にどう対処するかにかかっている。山麓のホテルから、マンダラハット(2727m)、ホロンボハット(3780m)、キボハット(4703m)という3つのハット(山小屋)に宿泊し、キボハットを深夜1時頃に出発して頂上でご来光を眺めるというのが一般的なようだが、3500mを超えたあたりから人により高山病の症状が出てくる。これは体力ではなく体質にも関係しているらしく、日本国内でも、北アルプスの縦走は問題なくこなす人が富士山に登ると高山病にかかるということがあるらしい。私の場合は、幸い、高山に適応しやすい体質であったことと、3週間ほど前に、20kgの荷物を背負って富士山でトレーニングをしたことなどが功を奏したのか、この登山に限っては高山病の目立った症状は出なかった。反町さんも私も26歳の時にこの山に登ったことになるのだが、酸素を2回吸った上に、予定より大幅に遅れて9時23分に登頂したところをみると、私のほうが遙かに元気だったことが証明される。わははは。

 番組では反町さんがギルマンズポイントに到達したところで登頂のお祝いをしていたが、あの場所は頂上外輪山の一角であって最高地点ではない。ただし、ここまで到達すれば登頂証明は貰えるし、「キリマンジャロに登頂した」と公言してもウソにはならないようだ。ちなみに最高点のウフルーピークは、ギルマンズポイントから左手に伸びる外輪山を1時間ほど進んだところにある。そこまで行かれるかどうかは、その時の気象状況、同行するメンバーの体調、旅行会社の方針などにかかっている。私が参加したツアーではけっきょくウフルーピークへの登頂は許可されなかった。それと、火山に登る最大の楽しみは頂上の火口を覗くことにあるのだが、一般向けの登山コースでは中央火口まで入ることは難しいようだ。あとから航空写真で自分が登った位置を確認するのが精一杯だろう。

 登山コースの景色、高山植物、それぞれの山小屋の様子は21年前に私が登った時とちっとも変わっていなかった。多少気になったのは、頂上付近の氷河がだいぶ後退していたことだ。時期的な違いなのだろうか。そうでなくて地球温暖化の影響だとするとちょっと怖い。
こちらにアルバムがあります。お暇な時にどうぞ。
【ちょっと思ったこと】

コンコルド

 パリ北部で日本時間26日午前0時頃、コンコルド機が墜落。乗客全員が死亡したという。今から12〜13年前のことだったと思うが、長崎で旅博覧会が開催されていた時、その協賛企画として、大村市の長崎空港までコンコルドがやってきたことがあった。当時長崎に住んでいた我が家は全員でこれを眺めにいった。思ったより小型という印象だった。あの時と同じ機体が空を飛んでいるとしたらずいぶん老朽化しているのではないかと思わざるを得ない。そう言えば、前回(前々回?)日本でサミットが行われた時は、フランス大統領はコンコルドで乗り込んできたのではなかっただろうか。今回のサミットでそういう話を聞かなかったのは、大統領も老朽化を懸念していたということなのだろうか。
【今日の畑仕事】

多忙かつ夕立のため何もできず。
【スクラップブック】