じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] グラジオラス。最近では派手な品種が豊富になり、花壇の中心にふさわしい花となった。2年前に皆既日食見物でイランに行った時、空港近くの花屋でたくさんのグラジオラスが売られていたことを思い出す。この花を好む国民性があるのかもしれない。



7月12日(木)

【思ったこと】
_10712(木)[教育]21世紀の大学教育(8)国立大で全国初、「学生・教員FD検討会」設立される(中編)学生消費者主義か主体的な関与者となる機会か

 昨日の日記の続き。私の講演の後半では、学生が各種の評価や提言に加わることについて、2つの視点があることを紹介した。
  1. アメリカ流の学生消費者主義
    学生は「サービスとしての大学教育」の購買者である。学生には、消費者として、授業、あるいは教育活動全般について意見を述べる権利があるという視点。但し、これには反対論を唱える人もいる。
  2. 評価活動も教育の一環となる
    授業評価等に参加することを通じて教育・研究活動の主体的な関与者へと成長することを期待。自分が何を学んだか、さらに学ぶために何が必要かについて主体的に考える機会となる。
 このうちの2.は、単に「お客様気分」では困るということを意味している。例えば生協食堂のメニューに「鉄火丼」を増やして欲しいという要望を出す場合は、単純に食べたいからという気持ちがあればそれで十分。食べたい人がたくさんいれば要望は実現するだろう。しかし、それと同じ「お客様気分」だけで「こういう授業科目が欲しい」と言ってもらったのでは困る。その授業が大学教育全体のなかでどのように関連づけられるのか、自分自身にとってどういう意義があるのかを主体的に問い直し、責任のある提案をすることが求められるというわけだ。

 他の会議の御都合で私の講演の後になってしまったが、今回の会には学長も挨拶に来られ、次のような点を強調された(文言は長谷川のメモに基づく)。
  • 「学問」は「学ぶ」だけでなく「問いかける」ことが必要。
  • いまの時代、コンピュータと競争しても負けるようなマニュアル人間ではダメ。自分で考え行動する力が必要。
  • 大学は主体性を持って勉強するところ。先生はそのアドバイザー。
  • 企業からも課題探求型の人材が求められている。分かりやすく言えば「自分でよく考え、発言し、行動すること」、そういう学生になってもらいたい。
 学長のこのようなご要望と、評価・提言を上記2.のように意義づけることは密接に関連していると思った。この連載、もう1回分で終了の予定。
【ちょっと思ったこと】

「じぶん当選党」なんてあるかも

 参院選が告示された。今回の選挙では比例区が「非拘束名簿式」に変更されたが、これはどうにも納得できない。「候補者名でも政党名でも投票できる」点は好ましいと思うのだが、「候補者名投票=個人本位選択」が趣旨であるなら、その得票は候補者だけに帰すべきである。同じ政党に属する別の候補者がそのおこぼれをもらって当選するというのはまことに奇妙なことだと思う。

 そこでこの制度を「活用」して何か変わったことはできないかと考えてみた。例えば、「じぶん当選党」なんていうのはどうだろうか。100万人の賛同者を集めて全員が立候補するのである。党則はただ一つ「選挙の時に自分の名前を書くこと」である。

 非拘束式なので、各自が自分の名前を書くことで「じぶん当選党」は100万票を獲得でき、少なくとも1名は当選可能となる。誰が当選するかはくじ引きになるだろうから、誰にでも平等に当選する可能性が与えられることになる。

 この方法に実現困難な点があるとすれば、
  • 供託金が莫大な額となる。大半は没収されるだろうから大損する。
  • 公務員などは退職しないと立候補できない。100万分の1の当選確率と引き替えに仕事を辞める人はおるまい。
 以上はあくまで冗談であるが、今回の選挙制度は得票1票でも当選できる可能性があるという矛盾を含むものであることを示す事例となるだろう。
【スクラップブック】