じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] この冬「最大で最後の」寒波がやってきた。岡山でもうっすら雪景色(2/11朝)。





2月11日(月)

【ちょっと思ったこと】

髪の色

 Web日記でも話題になっているが、オリンピック出場選手の中には髪を染めた人が多い。夕食の時に視た民放の関連番組では、選手ばかりか、司会者の男女(←たぶんタレント)、さらにゲストの橋本聖子氏までが茶髪に染めていた。私が、

なんということだ! ニッポン人だったら、もっと黒髪を大切にしろ!

と叫ぶと、最近、父親のことを「あんた」と呼ぶようになった娘が、

あんただって、髪、白いじゃん。




久しぶりに温泉

 卒論の第一査読分をひととおり読み終えたので、夫婦で岡山空港近くの「レスパール藤ヶ鳴」へ。この温浴施設は当初、第三セクター「岡山空港開発」によって営業されていたが昨年2月27日に民事再生法の適用を申請し、保全命令を受けた[昨年2月28日の日記参照]。その後のニュースは聞いていないが、確か、福山市のホテルに経営譲渡したはずである。

 事前にインターネットで調べたが最新情報は無し。行ってみて「閉鎖中」だったらどうしようなどと話しながら到着してみると、建物周辺は車がいっぱい。芝生内に乗り上げて駐車している車まであった。館内もたいへんな混雑ぶり。殆ど宣伝していないのに、これだけ多くの人がどこからやってきたのだろうか。

 入浴料金は相変わらず大人525円。かつて温水プールだったところは、軽食が食べられる休憩場になっていた。私の方は、塩サウナなど。露天風呂は時折激しく雪が舞い、水風呂以上の効果があった。妻のほうは、早々と入浴を切り上げてソフト整体・温浴マッサージのフルコース(2600円)。冬場はこういう過ごし方もいいかも。かなり年寄りじみているが。

【思ったこと】
_20211(月)[心理]しごと、余暇、自由、生きがいの関係を考える(18)冬季五輪を「いまいち」と感じる理由

 日本選手の活躍の場が少ないことも一因だろうが、冬季五輪は「いまいち」という感じがする。その理由をいくつか考えてみた。
  • トラック競技や水泳では、普通は8人程度が同時に競い合うので、勝ち負けの結果が非常に分かりやすい。冬季競技では、個別(ジャンプ、モーグル、スノーボードなど)もしくは2人ずつの競技(スケートなど)が多く、勝ち負けの差が同時に確定しない。つまり、目に見える競争ではなく、継時的・観念的な比較にすぎない
  • トラック競技や水泳では、決勝戦で最高の結果が示された直後に金メダルが確定する。冬季競技では、自分の競技の直後ではなく、他選手の不出来や失敗を待ってからメダルが確定するので、勝利の瞬間の盛り上がりにもかける
  • マラソンなどと同じように競うクロスカントリーなども、中継車が出ないため(←犬ぞりでも出せば別なんだろうが)、途中の駆け引きが見えにくい。
  • モーグルなど、どういう技が難易度が高いのか素人には分かりにくい。途中で大股に開いたり、体をくねらせているだけにも見える。ポイントが審判の判断に委ねられているため、あの選手のほうが点が高いなどと言われても納得できない場合がある。
  • 陸上競技や球技や水泳など、夏の大会のたいがいの競技は、自分でもその気になればマネができる。10mぐらいだったらマラソン選手の伴走はできるし、遙かに時間はかかるが100m自由形だってできる。つまり、自分自身の力と比較できるから、世界記録誕生場面に接するとスゴイなあと驚嘆するのだ。ところが冬季競技でマネのできる種目は殆どない。大衆化しているのはスキーとスケートとスノボーぐらいのもの。モーグルもジャンプもソリもフィギュアスケートも、みな特殊な舞台装置で、特殊な道具を使って争うため、自分との間に大きな溝がありすぎる。要するに、自分との相対的な比較ができないので、スゴさが実感できない
というところだろうか。

 この仮説が正しいとすると、観客が楽しめるスポーツ競技というのは
  • 観客自身にもマネができる(参加可能性)
  • 勝敗が分かりやすい(審判に依存せずに勝敗が分かる)
  • 勝利の文脈(競技の直後に優勝者が決まる)
  • 結果だけでなく、競技のプロセスが分かりやすいこと(最終結果より努力過程)


 TV番組では、せめて、それぞれの選手がこの大会に向けてどういう努力を続けてきたのかというプロセスを示していれば、メダルを取れても取れなくても、感動の大きさはずいぶんと変わってきたのではないかと思う。