じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
マツバウンラン(松葉海蘭)。一昨年の日記では5月14〜16日頃に開花記録がある。やはり今年は、かなり早い。 |
【ちょっと思ったこと】
「君が代」や「日の丸」の2番の歌詞は? 先日ちょっとした調べ物をしていたところ、日本文学学術的電子図書館というサイトに行き着いた。平家物語全巻各種のほか、十七条の憲法、奥の細道、子ども向け本など多彩なデータベースに無料でアクセスできる。これは相当の宝物になると思った。 そんななか、明治14年11月の「小学唱歌集」、昭和7年3月の「新訂尋常小学唱歌」という興味深いデータベースがあることを発見。唱歌の2番以降の歌詞を殆ど知らなかったことに驚いた。 まず、「君が代」だが、これは明治14年のほうの第二十三に収録されていた。興味深いのは、1番の歌詞自体が「巌となりて。こけのむすまで。」のあとに「うごきなく。常磐かきはに。かぎりもあらじ。」と続いていることだ。とうぜん曲のほうも存在するはずなのだが、いったいどう歌われていたのだろうか。どなたか情報をいただければ幸いです。ちなみに2番の歌詞は、「きみがよは。千尋の底の。.....みよの栄を。ほぎたてまつる。」となっていた。 次に、「日の丸の歌」だが、これに2番の歌詞があるとは知らなかった。昭和7年の「一、」によれば「朝日の昇る 勢見せて、 ああ勇ましや、 日本の旗は」となっていた。ちなみに1番の「ああ美しや」は今では「ああ美しい」と書き換えられているようだ。 明治14年の第二十には「蛍の光」の歌がある。今ではせいぜい2番までしか歌わないが4番では「千島のおくも。おきなはも。やしまのうちの。まもりなり。...」となっており、北方領土から沖縄までの守りを固めようという内容になっていた。「蛍の光」は、卒業式のほか、スーパーの閉店や公共施設の閉園時に使われることが多いが、「千島のおくも、沖縄も..」が流れたら利用者はさぞびっくりすることだろう。 路面電車が各地で廃止されてから実感が無くなってしまったが、私が子どもの頃は「電車ごっこ」でよく遊んだものだった。昭和7年の「五、」にある「運転手は君だ、車掌は僕だ、..」の歌の2番には「つぎは上野の公園前だ」と記されている。そうか、これはやはり東京の都電の歌だったのか。 昭和7年の「一三.」には、岡山ゆかりの桃太郎の歌がある。「おもしろい、おもしろい、.....分捕物をえんやらや。」などと展開すると、吉備団子で家来を雇った海賊の歌みたいになってしまう。 昭和7年二学年用の「二十四、」には「雪やこんこ」があるが、今では2番の歌詞の「犬は喜び...」だけが歌われているように思う。1番が廃れたのはなぜだろうか。 昭和7年三学年用の「十四、」の「あれ、松虫が..」の2番の歌詞「きりきりきりきりこほろぎや...」は知らなかった。 最後に六学年用の「八、」の「我は海の子、白浪の...」。これもだんだん勇ましくなってきて、7番の歌詞は「いで、軍艦に乗組みて、我は護らん、海の国」で終わっていた。 高校の先輩の活躍 同窓会筋の情報で、参院議長に選出された倉田氏が高校の先輩にあたるということを知った。さっそく御略歴を拝見したところ確かに校名がそのように記されている。少し前に中学の先輩のM氏が文部大臣(当時)に就任されたことがあったが、三権の長というのは今回が初めてであり、まことに喜ばしいことである。 もっとも、先輩とは言っても、倉田氏は第一期、私は十五期ということで相当な開きがある。先生方は大部分入れ替わっておられると思う。校舎が同じだったということが唯一の共通点になるのだろうか。 一般論として、小中高の先輩から有名人が出ると、何となく、自分までが有名になったような、くすぐったい気持ちになることがある。とはいえ、 ●岡山から来た長谷川です。 と挨拶することに比べて、 ●参院議長の出身高校の14年後輩の長谷川です。 と挨拶することが自分の価値を高めることにはなるまい。やはり自分は自分だ。 余談だが、高校の同輩には、同姓で活躍されているJ.Hasegawa氏と、J氏と結婚して同姓になったM.Hasegawa氏が居る。年齢が同じで分野も似ているのでたまに間違えられることがあるが、そういう時には、 ●あっ、ぜんぜん有名でないほうの長谷川です。 と挨拶することにしている。 |