じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] シロタエギク。コンテナ・ガーデンの引き立て役として重宝だが、いったん根がはると、旺盛に枝を伸ばし、周囲の草花を圧迫するほどに育つ。写真は、文学部西側。後ろの半田山にはすでに真夏の日差し。





6月8日(土)

【ちょっと思ったこと】


ベタを飼うわたし
[今日の写真]  いきつけの花屋で、赤い色の尾の長いサカナを瓶に入れて350円で売っていた。名前を聞くと「ベタ」だという。こんな小さな瓶のなかでよく飼えるものだと思いつつ、すぐ近くのホームセンターに行くと、今度は、青い色の同じ形のサカナをコップに入れて売っていた。こちらは298円であった。そのうちの1匹がピチャっと身をひるがえして目が合ってしまった。このまま立ち去るのは忍びがたく、研究室の金魚鉢で飼ってみることにした。

 ネットや手元の図鑑で調べたところでは、ベタは、熱帯魚の中でもいちばん丈夫な部類に属し、初心者向けだとか。この歳になるまで熱帯魚など飼ったことの無い私だが、うまく育てられるだろうか。いちおう寿命は2年とあった。ということもあって「シラマー」と命名。由来は、ヒミツじゃあ。




「さとうきび畑」とみんなのうた

 1日前のことになるが、金曜日、昼食時に視たスタジオパークで、森山良子さんが「さとうきび畑」のフルバージョンを熱唱しておられた。あまり視る機会が無いので確かなことは言えないが、この番組、普通は、芸能人の生い立ち、エピソードなどの紹介が主体であったと思う。そんななか、10分以上かけてフルバージョンを歌うというのは、異例中の異例ではないかと思った。

 この歌は、「みんなのうた」の中でちあきなおみさんの歌としても知られていたが、第3回 Best of みんなのうたというサイトによれば、森山さんは、「みんなのうた」以前からこの曲を歌い続けておられたという。

 単調な「ざわわ ざわわ」の繰り返しの中で、戦争で殺されたお父さんへの想いをつのらせ、それが最高点に達してからふたたび風の中に消えていくという1つの物語とも言えるし、犠牲者たちの沈黙の行進を道の傍らで見送っているようにも聞こえる。このあたりは「みんなのうた」の限られた時間では表現しにくいかもしれない。

 余談だが、上掲の「Best of みんなのうた」サイトは定期的に人気投票を実施しており、現在は第5回目が行われている最中のようだ。第4回の有効投票総数が4355票ということなのでそれほどの規模ではないが、寄せられたコメントを読むのが楽しい。「さとうきび畑」は第3回の時に8位にランクされている。上位にランクされている「遠い空」と「小さな手紙」は私の場合は全く思い出せない。初代1位であり、常に上位を占めている「まっくら森の歌 (うた:谷山浩子)」は、息子が小さいときに好きだった歌でもあって、今でもよく覚えている。歌ばかりでなくアニメにも独特の魅力があった。
【思ったこと】
_20608(土)[電脳]ウィルスよりシツコイ「購読サービス期限切れ通告」

 新しくパソコンを買うと、ウィルス防除・駆除ソフトがプレインストールされている場合がある。ソフトそのものは永続的に使えるが、新しいウィルス定義を更新するサービスは期限つきになっており、期限切れ後は有料で購読する必要があるようだ。

 私が使っているパソコンのうちの一台が、ちょうど期限切れになり、毎日、期限切れの警告が出るようになった。ところがその選択肢が気に入らない。「購読をすぐ申し込むか、後で申し込むか」の二者択一になっていて、「申し込むつもりはない」人の選ぶボタンが無い。しかも、次の警告は必ず「1日後」となっていて、「1週間後」や「1年後」を選ぶことができない。これではまるで押し売りだ。

 昨今のウィルス騒ぎは腹立たしい限りだが、ああいう騒ぎで一番儲かるのは、ウィルス防除・駆除ソフト会社ではないか。新しいウィルスが出るたびに、防除・駆除ソフト会社のサイトがリンクされ、結果的に宣伝を助けているようにも見える。ウィルスの根本的解決は、
  • 欠陥のないOS、ブラウザ、メイルソフト等を提供すること
  • ウィルスの製造、配布に関わった個人、組織を徹底的に追及し、莫大な損害賠償と終身刑など厳罰を科すこと
  • 架空アドレス、詐称行為などを厳罰に処すること
の3点にかかっている。これさえ整備されれば、防除・駆除ソフトなど要らない。

 はっきりさせておきたいのは、自然界のウィルスや細菌を防ぐことと、ネット上でのウィルスを防ぐことは根本的に異なるということだ。前者は、自然相手なので、防除や駆除は使用者の自己責任となる。後者は、明らかに悪意を持った個人・集団によって仕組まれた犯罪行為なのである。そういう意味では、自然界のアナロジーで「感染」、「防除」、「駆除」などという言葉を使うこと自体が、犯人を免責するような錯覚を引き起こしているとも言える。