じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【ちょっと思ったこと】
千葉県・市原のゾウの楽園 昼食時に、ひるどき日本列島を視た。今週は動物とのふれあいがテーマになっており、月曜日は、福岡市・早良区の「家族の手作り動物園」、6月11日は表題の「ゾウの楽園」と、いずれも民営の小規模な飼育施設を紹介していた。 月曜日は途中から視たため経緯がよく分からなかったが、施設内にはとにかく、犬や小鳥のほか、保護された野生動物などがたくさん飼われており、かけこみ寺のようになっていた。住み込みの女性は、動物飼育棟の屋根裏のような部屋で寝起きを共にしていた。近隣の農家からは餌となる野菜が寄附されているということだったが、どうやって維持しているのかは謎のままだった。 水曜日は、市原のゾウの楽園であり、こちらは、年老いたゾウのほか、芸をしこまれている若いゾウも居た。従業員の大半はタイのプロの象使いであるという。 番組を視ていてアッと驚いたのは、西宮から運ばれたキク子・アキ子という年老いた二頭の象がここで飼育され、特製のおにぎり(具はオカラ)を美味しそうに食べていたことだ。 「ひるどき」では一切触れられなかったが、この象たちは、73年の歴史を閉じた阪神パークで飼われていた2頭であり、移送前の飼育係との別れは、NHKにんげんドキュメントで「さよなら キク子 アキ子〜象と歩んだ飼育係の日々〜」として放映された(5月23日)。今回、この楽園ですでに飼われていた若い象たちにキク子とアキ子が初めて対面した際の映像が紹介されたが、お互いに鼻を伸ばして相手を確かめ合い暖かく受け入れられていたことが見て取れた。阪神パーク閉園は残念であったが、象たちにとっては結果的によい場所で老後を迎えられることになったと思う。 このゾウ園の女性オーナーのご長男は、動物たちが幸せに暮らせる動物園づくりを目ざしていたが、交通事故で他界された。その遺志を受け継ぎながら、オーナーやご次男、息子さんの同窓生やタイの人たちに支えられて成り立っているという。今年度中には、勝浦のほうにゾウのライディングパークのようなものが一部開園されるというが、経営が順調になることを期待したい。 [※6/12追記] 当初、千葉県・市川と書きましたが、日記才人メッセージにより市原ではないかとご指摘をいただき、訂正させていただきました。どうもありがとうございました。 さっそく検索をかけたところ、市原ぞうの国のホームページがヒットしましたので、リンクさせていただきます。 身分証を首からぶら下げる事務職員 全学の会議に陪席されている事務職員が全員、顔写真入りの身分証のようなものを首からぶら下げているので、どうしたのかと尋ねてみると、6月から、本部系の職員全員が身につけることに決まったのだという。どこかの空港か、VIPを迎える国際会議場のような雰囲気が出てきた。 この規則、いずれは各学部の事務職員、ひょっとすると教員全員にまで適用されるようになるかもしれないが、そもそもどういう目的があるのだろうか。 一番考えられるのは、これをぶらさげることで、職員としての士気高揚、サービス向上を狙うというものだ。例えば窓口で横柄な態度をとれば、相手方から名指しで苦情が寄せられる恐れがある。 第二に考えられるのは、大学職員を装った不審人物との区別である。もっとも、顔写真入りの身分証程度のものなら簡単に偽造できる。じっさい、某カルト宗教団体などは、わざわざ自家製の身分証明書を胸につけてインチキ募金などやっているし、同じく胸に「NTT関連会社」なる名札をつけて電話機を売りつける悪徳商法業者もいる。安易に信用するのは禁物である。 いずれにせよ、首からぶら下げる目的が、個人の特定にあるのか、それとも単に職員と非職員を区別するためにあるのかによって、改善の方向は変わってくるだろう。個人を特定するためであるなら、もっと大きめのほうがよい。いっそのこと、TVチャンピオンで使っているようなゼッケンにすれば分かりやすいのではないかと思う。職員全員にWeb日記執筆を義務づけ、日記才人の登録番号をゼッケンに記すとなればますます面白いかも。 職員と非職員を区別するならば制服を導入すれば済むことだ。4月20日の日記に書いたように、岡山県は全国の学生服の70%を生産しているそうなので、 ●岡大の教職員は全員、男性は詰め襟学生服、女性はセーラー服で出勤する と決めれば、地域経済の発展に貢献するかもしれぬ。 おや? 国立小児病院が... 6月11日のTVニュースで、東京世田谷の国立小児病院跡地で、医療廃棄物か何かが見つかったと報じていた。詳しいことは聞き逃してしまったが、跡地ということはすでに閉院されたという意味。そんなことになっていたとは全く知らなかった。 さっそくネットで調べたところ、国立小児病院のホームページはすでに閉鎖されており、Googleのキャッシュには「国立小児病院は、平成14年2月28日をもって閉院いたします。新病院は、国立成育医療センターとなります。」という短いメッセージが残されているだけであった。 また自民党世田谷区議団の資料には、跡地の確保について区の考え方を質す資料があったが、平成11年6月頃の日付であるため、その後どうなったのかは短時間では分からなかった。 この病院の閉院のニュースで驚いた一番の理由は、何と言っても 私が生まれた病院であった ためであった。 私が生まれた当時は、あの病院は、国立世田谷病院と呼ばれており、木造で板廊下の古い外来棟が正面にあり、その奥のほうに入院棟があったと記憶している。ボンネットバスに乗って通ったのはもっぱら歯科であった。今でも、ゴリゴリゴリとうなる低速のドリルの音を歯医者で聞くたびに、あの当時の治療室の風景が浮かんでくる。 私が通っていた幼稚園は何十年も前に閉園となっており(←現在は世田谷区立図書館になっているようだ)、これで生まれてから最初の6年間にゆかりのある施設は完全に消え去ってしまった。 |