じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 蝉と桃。梅雨明けの少し前から毎朝、クマゼミの大合唱が始まり、銀杏並木の下では話し声が聞こえないほどだ。午後になるとアブラゼミの声に替わる。このほか、今年はなぜか、7月下旬からツクツクボウシとミンミンゼミの声が聞こえている。


7月31日(木)

【思ったこと】
_30731(木)[教育]国立大法人化で教員生活はどう変わるのか

 法人化の制度設計に関する検討報告会が学内で開催された。学内の教職員を対象としたものであったので、ここでは、大学の内部機構に関わる内容にはふれない。教員生活はどう変わるのか、を中心に、独断と偏見による感想を述べたいと思う。

 まず、人事制度における根本として非公務員型がある。現在の教員には、国家公務員法、教育公務員特例法、人事院規則等が適用されているが、法人化後は、労働基準法等の労働法規に移行することとなる。これにより人事制度の弾力化が可能となる面、労働法規上、思わぬ制約を受ける可能性も出てきた。




 大学教員の勤務時間は、現状とあまり変わらず、原則として8時40分から17時30分までとなる模様だ。事務職員の「8時30分〜17時30分」より10分短いように見えるが、これは、時間割の関係で昼休みを1時間確保できないことを補うものだ。私自身は、別に命令されなくても8時すぎには出勤し、昼食時を除いて20時近くまで研究室に居るので、別段どうということはないが、遠方から通勤している教員にとっては、勤務時間がどこまで管理されるのかは大きな関心事になるかと思う。

 教育・研究への柔軟な対応という点から言えば、フレックスタイム制も考えられるが、これは管理面で問題あり、導入されない見込みである。それよりもむしろ、裁量労働制の適用のほうが実現可能性が高い。とはいえ、教養科目の開講時間など強制的に割り当てられる時間もあるので、完全な裁量というわけにはいかない。

 多くの教員にとっての関心事は、超過勤務の扱いだろう。教授会が21時までかかることもあり、超勤手当が出ればまことにありがたい。しかし実際には、資金難から、むしろ時間外の会議を禁止する形に動くようだ。というか、法人化後の教授会が決められることはごくわずかであり、2カ月に一度、それも代議員会のような形で開かれることになる模様なので、これまでのように長時間会議で苦しむ必要はない。あっ、これは管理運営任務に携わらなかった場合の話。




 教員の兼職・兼業は原則自由となる。とはいえ、本務校への貢献をちゃんと示せない教員は給与面で厳しい評価を受けることになるので、大量の学外非常勤、時には予備校講師やタレントをつとめるなどの無節操な兼業は実質的に排除されるであろう。また、学内規則において、学長の承認なしには兼業できないような制限が課せられる見込みだ。

 配置転換や出向を命ぜられた職員は、正当な理由が無い限りは拒むことができない。従来から事務職員にはこれが適用されていたが、教員を除外する規定が無い以上、今後は、経営的視点からさまざまな移動が起こりうる可能性がある。例えば特定分野の教員が学生数に対して過剰となった場合は出向、また、学部大学院から各種センターへの配置換えということも、命令としては可能だ。




 職員の遵守事項として、「勤務時間内に学長の許可なく、学内で放送・宣伝・集会または文書面の配布・閲覧掲示その他これに準ずる行為をしてはならない」という規定が加えられそうだ。これは、ビラ配りなどはもちろんだが、Web日記を書いたりネット掲示板に書き込んだり、Eメイルで私的メッセージを流すことも含まれるものと思う。8時40分から17時30分の間は、たとえ、その日の朝に書いたWeb日記に重大な誤植があることに気づいたとしても、訂正しないように心がけたいものだ。




 国立大学の法人化についてはこれまでも賛否両論たたかわされてきたが、個人的には、こういうことでもしないと大学は変えられないのではとますます思いつつある。

 例えば、教員定員50人、10講座からなる学部があったとしよう。何らかの事情で、定員を1人減らさなければならなくなった時、全構成員からなる教授会は、果たして、全学的視点あるいはその学部の社会的役割を考慮した上で、有効な削減策を作り上げることができるだろうか。否である。断じて否である。教授会自治というのは、定員増を伴う改革がある時にはそれなりの創意を発揮できるが、縮小再生産の過程では、まずは自分自身の保身、次には、自分の講座の保身をはかろうとするのが精一杯であって、いくら全学的視点で意味があっても、自分のところが痛みを伴うような改革を打ち出すことは決してできないからだ。それゆえ、こういう定削があった時には、おそらく、講座間のポストの貸し借り、あるいはローテーションで、痛み分けをはかろうとする。もしくは、理念無しに多数派を形成して、少数派のポストを奪い取ろうとする。そんなことばかりやっていたのでは、新しいシステムを作り上げることなどできるわけがない。ここに書いたのはあくまで仮想の一般論。念のため。

 法人化により内輪の合意形成のしがらみから脱出できたからといって、自分あるいは自分の講座の長年の努力はいつかきっと評価されるはずだなどと受身的に待っていたのではダメだ。競争的環境のもとでは、教員あるいは教育組織は、常に、実績を作り、その成果をアピールする努力を怠ってはならない。