じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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畑で採れたニンジン(写真左)。まだまだ柔らかいのだが、昔ながらの品種のためニオイがきつい。妻に「せっかく苦労して作ったんだから早く料理してくれ」と頼んだところ、「あなた、全部食べなさいよ」といって、肉じゃがの上に丸ごと乗せてきた(写真右)。馬じゃあるまいし、一度にこんなに食べられるもんか。
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【ちょっと思ったこと】
阪神応援のココロ NHKクローズアップ現代「甲子園 燃えるスタンド」を視た。日常生活場面と異なる特殊な空間で異なる自分を見出す人、長年の応援活動で培われた独特な人間関係など、野球中継では伝えられない別の人間模様が描かれていて興味深く拝見した。 野球の応援というのはたわいのないもので、理由などを追及するのは無粋。関心の無い人からはアホらしく見えるような格好で、大いに楽しめばよいと私自身は思っている。個人が関与する度合いは比較的小さく、球場の外までしがらみを引きずる必要もない。時間と空間が限られた世界で、喜びや悔しさを分かち合いながら、連帯感を共有していくのだろう。 阪神応援行動もエスカレートしてくると、ある種の宗教活動みたいになってしまうように思う。また、仮想の共依存、つまり、自分が応援に行かないと阪神はダメになると考えている人もいるようだ。 それはそれとして、私が疑問に思ったのは、この20年余りのあいだに、ああいう独特の雰囲気が、何によって形作られていったのかということだ。私が甲子園に足を運んだのは、学生・院生時代の1971年から1980年頃であったが、あの時代には、あんなに統率のとれた応援風景はなかった。「○○猛虎会」、「○○若虎会」といった旗や、「阪神勝って今日も一日家庭円満」といった横断幕は見たが、一塁側外野席といってもそんなに儀式的な応援風景はなかった。勝利後の「六甲おろし」も、楽しみの1つではあったがいっせいに歌うほどではなかった。 1つ考えられるのは、1985年以降の低迷だろうか。あまりにも弱い時期が長く続いたために、応援活動は悲壮感あふれるものとなり、参加者の連帯感をつよめ、さまざまな儀式を生み出したというもの。このほか、促進因として、黄色と黒の縞模様や虎マークはシンボルになりやすいこと、反東京や反巨人の闘争心なども考えられそう。 久しぶりに見た鮮明な夢は9種類以上の記憶の融合だった 9日の明け方4時頃にいったん目が覚め、再び眠りについた時、最近では珍しいほど鮮明な夢を見た。 内容は、心理学の動物飼育室からいろいろな備品が次々と持ち出されている場面を目撃し、それをくい止めようと体をはって抗議しているという夢であったが、ここ1〜2カ月以内に体験した出来事と8日に見たテレビ番組の記憶がさまざまに融合し新しい世界を作っていた。 夢の内容は、心理学動物実験室に餌をやりに行ってみると、数十人の学生たちがそこから実験装置や机などを運び出している。飼育室は、岡大ではなく私が学生の頃に実験に入り浸っていた飼育室(*1)、もしくは、共同利用研究でお世話になった某研究所の飼育室に近いものであったが、中には自分では全く見覚えのないウサギなどが飼われていた。前教授が定年退職したあと餌や水を与えた形跡が無く、ひからびている死体(*2)もあった。学生たちに、なんで備品を勝手に持ち出すのかと訊いてみたら、生物学(動物学*3)の授業でいっせいに指示を受けたためだという。担当教員(複数)を探し出して問いただしてみると、主任教授は高齢の女性(*4)。また、横にいた若手の教員は、備品は大学全体で一元管理しているのだから持ち出しても当然(*5)であるというようなことを言っていた。付近では学生たちが模擬店を出していたが、風景は東大の三四郎池周辺(*6)に似ていた。このほか、途中で家に戻ろうとしたら町中で大きな気球をとばそうとしている学生たちがおり(*7)、その一部は気球から電線に飛び移ってぶら下がっていたが(*8)じきに地上に落下。また空には真っ黒な雲が出ていた(*9)。 こうした夢がどんな体験に由来するものか、自分なりに推測してみるに、*印をつけたシーンは、
ずいぶんストーリーの長い夢だったのでこれは相当寝過ごしたかと思ったが、時計のほうは6時13分、いつもの起床時刻より20分程度遅れているだけだった。この日は夜中までエアコンをつけていたので熟睡できていたと思ったのだが、さて、本当は何分ぐらいの夢だったのだろう。 |