じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _41020(水)[心理]血液型差別番組を考える(15) 自己体験から血液型偏見が生まれる一因 昨日までの日記では、テレビ、雑誌、単行本、Webサイトなどの影響を受けて、各血液型者の性格や相性についてのステレオタイプな決めつけや偏見が助長される恐れのあることを指摘してきた。 しかし、中には、 ●自分は、テレビの影響など受けていない。あくまで自分自身の経験に基づいて、血液型による違いがあることを確信している。 という方もおられるに違いない。今回は、なぜそのような「確信」が形成されるのかについて、1つの可能性を考えてみたいと思う。 まず、その前提であるが、自分の周囲の人たちが何型であるのか分からない時代には、そのような「確信」は生まれようが無い。ところが、猫も杓子も「血液型」、一国の総理大臣までが首相官邸オフィシャルサイトのプロフィールで血液型を公表している時代になると、その気になれば特に苦労しなくても周囲の人の血液型を知ることができるようになる。言わば、各血液型者が、赤、白、青、黄の鉢巻きをつけてウヨウヨしているような世の中である。 ここで問題となるのが、各血液型者の比率である。日本の場合、A型者、O型者、B型者、AB型者の比率は、概ね、40、30、20、10%程度であると言われている。つまり、我々は、各血液型者を均等にサンプリングしているわけではない。20人の知り合いが居る人にとっては、概ね8人はA型、6人はO型、4人はB型、2人はAB型という内訳になる。 だいぶ昔に“目分量統計の心理と血液型人間「学」”(詫摩武俊・佐藤達哉(編) 現代のエスプリ324 『血液型と性格 その史的展開と現在の問題点』,pp. 121-129. )にも書いたことがあるが、データというのは、数が少なければ少ないほど偏りが出やすいものだ。赤、白、青、黄の鉢巻きをつけた人が、それぞれ8人、6人、4人、2人、合計20人居たとすると、人数の多いために全体の特徴が見出しにくい赤い鉢巻きの人たちに対しては、どうしても「平均的」、「個性が無い」という印象を持ちやすくなる。いっぽう、人数の少ないために偏りの出やすい青や黄の鉢巻きをつけた人たちに対しては、「個性がある=マイペースだ」、「バラツキがある=二重人格的だ」といった印象を持ちやすくなる。 要するに、自分の体験に基づくと言っても、日常の自然な接触の中では、均等にデータをサンプリングしたり観察できる状況には無い。血液型別の相性を考える時などには、このことをもっと自覚すべきである。 |