じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
大学構内で最近ますますネコが増えてきているように思える。写真は、クスノキの皮で爪を研ぐシロネコ。 |
【ちょっと思ったこと】
アンケートを書くたびに家族が増える 岡山市内の飲食店では、某ベーカリーレストランのほか、寿司屋やラーメン屋の中にも御客にアンケートを書かせているところがある。誕生日の割引葉書のほか抽選で1000円のお食事券が当たるラーメン屋などもあり、家族で外食するたびに回答している。 とはいっても、この種のアンケートに本名と正確な生年月日を記すと、個人情報が外部に漏れて悪用される恐れがある。そんなこともあって、回答者の名前部分は仮名、誕生日もいい加減に書いて出している。 土曜日に近くのラーメン屋に行ったところ、なんと、1000円のお食事券当選者のリストが張りだされていた。しかし、当選者は、「長谷川あんず」という仮名のまま。ま、「あんず」という名前も無いとは言い切れないが、ずいぶんと目立ってしまった。 そこで、今回の仮名は「長谷川和湖」と「長谷川仁夜子」とした。まさか、これらが、「長谷川わんこ」、「長谷川にゃんこ」に由来するとはラーメン屋さんも気づくまい。 大相撲の観客数 日曜日の夕刻、大相撲九州場所初日の中継を観た。気になったのは、休日であるにもかかわらず、中入り後になっても向こう正面奥の席がガラ空き、その上の椅子席にも空席が目立ったことだ。九州で人気の魁皇も初日から負けてしまった。 大相撲不人気の原因は外国人力士の進出にあるという意見も聞くが、私はそうは思わない。国際色豊かになったほうがむしろ技も多彩となり面白味が出てくるはずだ。根本的な原因は、
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【思ったこと】 _41114(日)[心理]日本理論心理学会第50回大会(7)日本発の理論を考える(その2)理論的営みを盛んにするには 11月6日〜7日に開催された日本理論心理学会第50回大会。前回に引き続き、 ●シンポジウム「日本発の理論を考える」 の感想を述べさせていただく。 話題提供1番目の ●森正義彦氏:理論的営みを盛んにするには の後半では、心理学概論書などで、古典的な理論が羅列的に紹介されているだけで、相互の関連や統合の試みが不十分であることが指摘された。一例として、アトキンソン、ワイナー、セリグマンの動機づけ理論の扱いがある。森正氏の持論のスキナー批判も何度か飛び出した。 もっとも、理論の相互の関連や統合というのは、そう簡単にできるものではない。天動説が地動説がという議論のように、同じ天体を対象として、予測の精度や簡潔さや周辺領域の諸理論との整合性を比較するならば話は簡単だが、心理学の理論はそういうわけにはいかない。それぞれの理論では、概念規定も前提も、扱う範囲も、最終目的も著しく異なることが多いからである。 スキナー批判の場合も同様である。スキナーが初期〜中期に表明した「強化」の概念を森正氏御自身のまな板に乗せて吟味すれば、確かに「スキナーは間違っている」という主張も出てくる。しかし、そもそも理論とは何かという前提に違いがあるのだから、それ以上の論争は不毛であるように見える。休憩時間にも個人的にいろいろお話を伺う機会があったが、例えば、「確立操作」、「ルール支配」、「阻止の随伴性」といった概念について森正氏御自身がどう位置づけられているのかについては、詳しくお聞きすることができなかった。 心理学教育の中では、もっと「理論」を強調すべきである点はその通りであると思う。森正氏のお言葉を借りれば(あくまで長谷川のメモによる)、受験生は数学が必須であると分かればイヤでも勉強する、それと同じように理論の必要性を教えるべきだということになる。 もっともそうは言っても、時代を追って代表的理論を紹介するだけでは、まさに批判されているような羅列に終わってしまう。私はむしろ、理論にはどういう種類があるか、例えば
[※追記] 森正氏は最近『科学としての心理学 理論とは何か? なぜ必要か? どう構築するか?』という編著を公刊されている。執筆者は、市川 伸一、大山 正、 梶田 正巳、■成(■:「王」に「文」、十文字学園女子大学) 、苧阪 直行、森正 義彦氏ほか。 培風館 培風館 2400円。ISBN:4563056774. 『心理学ワールド 27』(日本心理学会発行)の「自著を語る」コーナーで森正氏は「等しく心理学の科学的研究に従事する著者たちが,「科学」についても,「理論」についても,少しずつ異なる見方をしていることは,読者の興味をひくに違いない。それでもなお,心理学が科学として成長するためには,理論面での未熟さを克服する必要があるとする点で,論者間の完全の一致が認められたことに,無視できない意味がある。」と述べている。 |