じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 大学構内・駐車場脇の水仙が早くも満開になっていた。水仙というのは、球根を植え付けた時よりも数年後のほうがよく花が咲く。


12月11日(土)

【思ったこと】
_41211(土)[心理]血液型差別番組を考える(20) A型者への偏見/受動喫煙との関係

 最近の「血液型」番組では、B型者やAB型者に対してマイナスのイメージを与える表現が多いと指摘されてきた。また、12月6日の日記に記したように、戦前はむしろO型者へのステレオタイプな見方が強かった。

 では、日本人に最も多いA型者への偏見は無いのか。最近いただいた情報では、A型者に対しても「神経質だ」、「独裁的だ」といったステレオタイプな表現が見られるほか、現在被告となっているカルト宗教の教祖やヒトラーなどA型者の悪者ばかりを並べてA型者を攻撃する人もいるという。

 こうした偏見は、テレビ番組経由ではなく、むしろ、匿名掲示板の書き込みに多く、そのことで気分を害しているA型者も多いと聞いた。

※ちなみに私自身は、匿名で書き込める大手掲示板には一切アクセスしない主義を貫いている(従って、いかなるスレッドであれ、そこに書かれてある内容を参照することはないし、当然、書き込みも一切していない)ので、A型者への誹謗中傷が行われているのかどうかは確認できていない。




 異なる血液型者の間でお互いをけなすような事態があるとすればそれは大変不幸なことだ。偏見・差別があったからといって、自分と異なる血液型者を攻撃するのはお門違い。諸悪の根源は、

●レベル3:生まれつきの属性(性別、血液型、人種など)と結びつけて他人を判断してしまうことの不当性

にあり、それは、

●「あなたは××型だから〜」
●「あなたは××型なのに〜」
●「××型の人は〜」

として他人を評価してしまうことにある。加害者であれ被害者であれ、こうした表現を無くさない限りは、血液型差別や偏見は決してなくならないと思う。




 ところで、「血液型」番組や、被害者の訴えに対して、一部には
  • 自分は××型だが、そんなことは気にしていない。
  • 周囲がどう言おうと「どうでもいいんじゃん?」って姿勢が大切
  • 「明るくて前向き」で「おおらかさ」があればそんなことは気にしないはず
という形で、「血液型批判」を批判するむきがあるようだ。しかし、差別や偏見は、「気にしない」、「おおらかさ」で解消するようなものでは決してない。100人中99人が気にしないことであっても残りの一人が傷つけられることであるなら、あるいは100人全員が気にしなくても、将来、傷つけられる人が出てくる可能性があるならば、そういう行為は慎まなければならないと私は思う。

 これに関連してすぐに思い浮かぶのが、受動喫煙防止の問題である。公共の場を禁煙にしようという呼びかけに対して、
  • 自分は非喫煙者だが、タバコの煙は気にしていない。
  • 禁煙を呼びかける人は不寛容。
といった声もあるようだが、問題の本質は、寛容か不寛容かではない。弱者やマイノリティにの苦しみに無頓着すぎる輩がいて自分が害毒を垂れ流していることを何とも思わないことに第一義的な問題があるのだ。もちろん、喫煙者すべてを「マナーが悪い」、「周囲への配慮が足りない」「自己中心的」などと決めつけることも、「血液型」問題同様、あってはならないことだと考える。