じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
昨日の続き、中国・蘇州の大晦日の夕暮れ(但し、旧暦。1981年2月4日撮影)。蘇州は古くから水の町として知られている。撮影当時はごく当たり前の風景であったが、四半世紀後の今はどうなっているだろうか。 |
【思ったこと】 _41215(水)[教育]占い師の評価、教員の評価 岡大は少し前に今年度個人評価の結果が通知され、まもなく今年度前期の授業評価アンケート結果がフィードバックされる。評価そのものが必要であることは分かるし、現に私などは、全学FD委員長兼授業評価アンケートワーキンググループ座長などを仰せつかっていてまさに推進者の側に立っているわけだが、こういう問題に関われば関わるほど、評価の難しさが実感される。 少し前の日記読み日記で、「占い師の評価」を話題にしたことがあった。占い師の場合、「よく当たる」ことが評価基準になるだろうか。しかし、 本当によく当たる占い師だったら、テレビなんぞに出ずに、自分のためだけに宝くじ、競馬、株などの占いをやって大儲けしているはず。そういう大金持ちがこの世に居ないということは、やっぱ、よく当たる占い師は存在しないという証明にもなる。となるはずである。 では、世の中の占い師はみんなインチキなのだろうか。じつは、テレビに出演する人気者占い師であれ、街角の易者であれ、必ずしも「よく当たる」ことで評価されているわけではない。9月24日の日記の「シナリオの選択と確率予想」で、台風の進路予想に関連して触れたように、 大学受験、就職、結婚、などを考えてみても、ちょっとした偶発的要因でシナリオが大きく変わり、その後の人生が予想外の展開を見せるということはよくあることだ。オリンピックの決勝などでも、金メダルをとれるか銀メダルに留まるかは、偶発的要因に左右されることが多いが、そのことによって、引退するか、再度挑戦するかといった将来のシナリオが大きく変わる場合がある。ということも考慮に入れなければならない。このほか、少なくとも日本では、カウンセラーに近い役割を果たしている占い師もいる。それぞれの役割は多種多様であり、しかも数量化は難しい。そういう意味では、占い師の個人評価というのは不可能に近いかもしれない。 元の話題に戻るが、岡大では、今年度より、授業評価アンケートの質問項目が改正され、かつ、そのうちの1番目の質問項目: (1)この授業全体に対するあなたの評価を総合的に5段階で表して下さい。 良い 5・・・4・・・3・・・2・・・1 悪い の平均評点が個人評価項目に取り込まれることになった。 ここでは学生側に「総合的評価」を委ねているわけであるが、文言上「総合的に」となっていても、学生が本当に「総合的に」評価しているという保証はどこにもない。 ま、そうは言っても、平均評点が3未満の場合には何らかの改善を求めるべきであろう。問題は、評点が3.5、4.0、4.5、5.0というように増えれば増えるほど、理想的な授業と言えるのかどうかということだ。これは、評価者としての学生の目がどれだけ肥えているかにもかかっていると思うが、そもそも一次元上の数値だけで比較できるのかという問題がある。 いずれにせよ、マークシート型の授業評価アンケートは万全ではない。欠陥授業の発見手段にはなるが、授業改善の指標としては、その限界を承知の上で利用すべきであろう。真の授業改善は、もっと多面性を重視し、数量化にとらわれない豊富な質を揃えていくところにある。 |