じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 馬酔木の花。ピンクの花は「アケボノアセビ」というらしい。馬酔木というと、中学の頃に読んだ堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』を思い出すが、あれは白花であった。堀辰雄はたぶん白花しか好まなかっただろう。なお、3月31日付け、4月1日付け、および今回の写真の撮影場所は、すべて江戸東京たてもの園であった。


4月2日(土)

【ちょっと思ったこと】

ローマ法王死去

 各種報道によれば、ヨハネ・パウロ2世は、現地時間4月2日21時37分(日本時間3日午前4時37分)に死去した。1978年に第264代のローマ法王の座についてから今年で27年目、記録が残る法王としては歴代2番目に長い在任期間であったという。

 法王の座につかれた1978年と言えば私が大学院生の頃のことである。キリスト教とは何の縁も無い私ではあるが、1981年に日本に来られた時のことは今でも記憶に残っている。私のこれまでの人生の半分と同じくらいの長さにわたって在任されていたというから驚くべきことだ。

 ということで「ご冥福をお祈りします」で結ぼうかと思ったが、法王と言えば神様も同然。「ご冥福=死後の幸福」を祈るというのは失礼な言い方になるのだろう。「お悔やみ申し上げます」ではなおさら変だ。どのような言葉で哀悼の意を表してよいのか言葉が浮かばない。

【思ったこと】
_50402(土)[日記]新年度からのWeb日記執筆方針

 一年の始まりは元日であるが、私の場合、元日というのは、年度後期の通過点の1つに過ぎず、その前後で生活が大きく変わることは全く無い。やはり、4月1日からの新年度を迎えた時のほうが気分一新、決意を新たに、という気分になる。

 さて、新年度を迎えた前後から、historical amnesia(旧・大教室のMONOLOGUE,ランチの玉子様)、KogoLab News & Review(旧・ちはるの多次元尺度構成法)といった、私が愛読しているWeb日記、ブログのいくつかが執筆スタイルを一新された。しかし私の場合は、じぶん更新日記に限っては、当分のあいだ今のスタイルを変えるつもりはない。執筆時間は、前夜寝る前か、翌日の朝6時半から8時頃。内容も、その日の写真(主として季節の花や風景)、「ちょっと思ったこと」(何かの話題についての断片的な感想)、「思ったこと」(ある程度の分量の考えを述べる場合、もしくは連載形式で報告をする場合)の三本立てで続けていきたいと思う。

 お互い更新日記(日記読み日記)は、帰宅後、18時〜19時頃に執筆することを原則としているが、会議が長引くこともあるので規則的な更新は難しい。なお、この日記のログは一週間程度で順次削除している(ローカルには執筆開始当初からの分をずっと保存している)。ログを残さないのは、リンク先のurl変更に対応しきれないためであって他意は無い。

 もう1つの日記才人登録日記である昭和30年代の写真日記のほうは、現在のところ3ヶ月に一度程度しか更新できていない。それより前に、冬のチベットのアルバムを完成させようと思っているのだが、なかなか時間がとれない。これから授業が忙しくなるので、5月の連休までは無理かと思う。

 1月24日に開始した日記書き日記は、これまでのところ100%の日記記入率を維持している。これは寝る前に、日記書きに関するちょっとした「こぼれ話」を書くという主旨であり、日記才人には登録していない。今後も登録の予定はない。




 執筆内容に対するご意見については長谷川あてにメイル等を送ってくださる方へのお願いという方針を今後とも続けていきたいと思っている。関連する情報(執筆内容の誤りについてのご指摘、有益情報など)は大いに歓迎するが、個別に質問やご意見をいただいてもお答えする時間的余裕が無い。執筆者と読者の関係は「一対一」ではなく「一対多」となっていることにはぜひご配慮いただきたいと思う。「ご意見や反論のある方は御自分のホームページにて公開のうえ、urlのみをお知らせください。こちらから反論の必要を認めた場合は、「日記本文」または「日記読み日記」にて取り上げさせていただきます。」という方針も同様である。なお、せっかく貴重なご意見をいただいた場合でも、時間的余裕が無いために反応できない場合もある。ちなみに「反論の必要を認めた場合」というのは「反論する価値がある場合」という意味。反論しないからといって決して同意したことにはならない。自分の執筆内容にケチをつけられたことに腹を立てて猛然と反論し、相手との論争で泥沼に陥って執筆そのものを止めてしまうという方がたまにおられるが、その根本原因は「Web日記はあくまで日記である」という本質と「読者との関係は、一対多である」という性質を見失ってしまうことにあるかと思う。もしWeb上でどうしても論争をしたいなら、その相手と事前に意見交換の頻度や打ち切りの基準(意見が一致しない場合でも一定回数に達したら論争を打ち切る。その際、それ以上相手を挑発するような言動は避ける)を約束した上で始めるべきであろう。

 ところで、昨日のお互い更新日記(日記読み日記)でたまたま、
早生まれ、遅生まれのことは、だいぶ昔の1998年1月24日1998年1月27日の日記で書いたことがあった。しかし、あの時のリンク先は殆ど変更されている。リンクに頼るのも考えものですなあ。
と書いたところであるが、リンク先の情報というのは短期間で削除されたり、url(アドレス)が変更になることが多い。であるならば、せめて、必然性のある範囲でできるだけ長めに引用をし、リンク先にアクセスしなくても内容が分かるようにしておくことも執筆上やむを得ないかと思う。

 これはネットニュースでも同様である。この件に関しては、ずいぶん昔の1997年11月6日に新聞協会が「ネットワーク上の著作権について――新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に」という警告を出したことがある。しかし、新聞記事引用・転載と著作権問題を考えるという連載でも表明したように、記事の引用・転載を一律に禁止されたのでは、世の中で起こったこと自体を正確に記録することはできない。当該記事のurl(アドレス)を変更せずに100年くらいは無料でアクセス可能な状態を確保していただけるというなら話は別でわざわざ転載する手間は不要。しかし現実に、記事そのものが削除されてしまったり、有料会員にならないと閲覧できないというのでは、時事問題に関するブログなど成り立たないのでないか。

 なお、本日より、リンクをする場合は、なるべく、リンク先のコンテンツのタイトルを明記するように配慮した。たとえばこの日記にリンクする場合は、「こちらの日記」ではなく「じぶん更新日記」というように固有名詞を詳しく書くということである。このようにしておけば、リンク先のurl(アドレス)が引っ越しになった場合でも、検索サイト経由でなんとか元のコンテンツに行き着くことができる。

 なお、引っ越し前の古いurl(アドレス)にもそれなりに有用性がある。The Internet Archiveに、古いアドレスを入れると、「蔵書」が見つかる場合があるからだ。例えば、日記才人の前身である日記猿人のアドレス「http://wafu.netgate.net/ne/index.html」をそこに入れてやると、そこからのリンクで1997年3月29日の日記一覧などを閲覧することができる。さらにそのリストから、当時執筆されていた日記のコンテンツの一部を閲覧することもできる。なお、このこともあるので、Web日記・ウェブログ執筆者は、ネット上に一度でも公開した内容は、後になってからはそう簡単には削除できないということを心して執筆すべきである。