じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 農学部農場の葱坊主たち。その隣の畑では新たに苗の植え付けや種まきが行われ、28日早朝からはスプリンクラーによる水まきが開始された。


4月27日(水)

【ちょっと思ったこと】
英会話スクールCMに登場する有名政治家の謎

 最近、某英会話スクールのCMに、吉田茂氏や佐藤栄作氏が登場するシーンを見かける。すでに亡くなられているので、CM出演を了承しているとは考えられない。こういう場合の肖像権や出演料はどうなっているのか、ちょっと気になった。

 ネットで検索したところ、「勝手にテレビ(http://www.sakai.zaq.ne.jp/okiraku/television/television.htm)」というサイトに
吉田茂や、佐藤栄作の英語は下手っぴってね(爆)
で、熱意が世界を切り開くって?
いやはや、そりゃごもっともではあるが
熱意さえあれば、伝わるってんなら
****はいらないじゃ〜〜ん(▼▼メ)
(原文では、****のところに固有名詞あり)。
というような記述があった。熱意の象徴として紹介するCMである限りは、故人もお喜びになっていると拝察するが、発音は決して上手とは言えない(←私個人は、日本人は、日本英語を喋ればよいとは思っているけれど)。万が一、故人が「恥ずかしいから止めてくれ」と思っていたとすると、法律上はどういう扱いになるのだろうか。ひょっとして、お孫さん息子さんあたりから要請が出されるのだろうか。




学長選考で大学構成員の意向は無視されたか?

 3月16日の日記に記したように、岡山大学では先月、次期国立大学法人岡山大学長予定者を決定した。3月17日の朝日新聞岡山版によれば、この選考は
  • 3月15日に学内意向聴取(投票)を実施。投票資格者1019人のうち約8割が投票し、A氏が379票、B氏が294票、C氏が135票という結果となった。
  • 3月16日の選考会議では、上位2名について審議を進め、最終的には11人の委員による投票の結果、A氏が3票、B氏が8票を獲得し、B氏が選出された。
といったプロセスを経て行われている。

 このことに関して、最近、某所において

●一連の学長選考の経過はきわめて不透明であり、選考結果は、大学構成員の意向を無視した不可解きわまるものでした。

という意見が表明されていることを知った。

 確かに、選考のプロセスの一部には不透明な部分があったと思う。しかし、後半の「選考結果は、大学構成員の意向を無視した不可解きわまるものでした」は、私には同意できないところがある。中には、「学内意向聴取で最多得票を得たA氏が選ばれなかったのは、大学構成員の意向を無視したものだ」と勘違いしている人もいるようなので、このさい改めて意見を表明しておこうと思う。

 3月16日の日記に記したように、従来の学長選では、一回目の投票で過半数を獲得した候補が居なければ、候補者を絞り込んだ二次投票を行い(3名以上が残っている限りは三次投票もあり)、そこでも過半数獲得者が居なければ最終的には上位二名による決戦投票という方式で学長が決定されていた。今回の意向聴取の段階ではどの候補も過半数を得ておらず、また決選投票も行われていない。したがって、「最多得票のA氏を次期学長に選ばなければ大学構成員の意向を尊重したことにはならない」という主張は全く成り立たない。意向聴取結果の正しい解釈はあくまで「圧倒的な得票の候補はおらず、3人とも甲乙はつけがたい」であり、意向聴取得票者上位2名についての委員投票を行ったわけだから、実質的には、意向聴取の結果を十分に反映した決定であると考えるべきである。

 もし、学長はあくまで大学構成員の意向のみで決めるべきだと主張するのであれば、「上位二名による決選投票」の実施を要求するのがスジであろう。しかし現システムでは、「最終選考は選考委員会で行われる」と定められていて、それに従って決定がなされているのであるから、「不可解きわまる」とは断じて言えない。

 なお、3月16日の日記にも書いたが、私個人は、大学構成員の意向だけで学長を決定することには反対である。学長は、村長や町長とは異なる。村長や町長は、その地域の住民の安全と生活向上に尽くすことが主要な任務であり、その地域の構成員だけの手で選ばれるのが当然である。しかし、大学の学長というのは、決して、大学構成員の生活向上のために選ばれるわけではない。大学はあくまで教育・研究の場であって、そこで教育を受ける学生の将来や、社会的役割を念頭に置いて改革を進めていかなければならないのである。

 もちろん、大学構成員の中には、大学の社会的役割まで考えた上で、最もふさわしい候補者に投票する人もおられるとは思う。しかし、被雇用者である限りは、まずは、自分の生活優先、さらにポストや講座の保身を考えた上で、いちばん便宜をはかってもらえそうな候補者に投票するという人も少なくはない。また、過去の学長選の時にも痛切に感じたことがあるが、それぞれの候補者のことをよく知らないまま、感情やムードだけで投票してしまう人もゼッタイに居ないとは言い切れない。  そういう得票のトータルが、大学の将来にとって最もふさわしいリーダーを選ぶ手段として最適であるとは到底思えない。このほか、言いたいことは3月16日の日記でほぼ尽くされているので、ここではこれ以上繰り返さないことにしておく。