じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 薬学部の芝地に出現したニワゼキショウのお花畑。大学構内各所で咲いているが、お花畑がどこに出現するのかは、芝刈りのタイミングによる。咲く前に刈り取られてしまえば当然花は咲かない。半面、何も手を加えないと他の草が茂りすぎてしまって目立たなくなる。2002年5月8日の日記では理学部の芝地を御紹介したが、今年はイマイチであった。


5月16日(月)

【ちょっと思ったこと】

天山南路のクチャ

 5月15日に放送のあったNHKシルクロード第十集「天山南路 音楽の旅」(初回放送1981年1月5日)をDVDハードディスクに録画しておいて翌日の夕食時に視た。

 今回は主として紹介されたのは、天山南路のクチャ(庫車)であった。この場所は2003年12月30日に訪れたことがあり、キジル千仏洞、クムトラ千仏洞、スバシ故城(実際は僧院跡)などの映像と、訪れた時の記憶を重ね合わせることができた。

 シルクロード観光地はどこでもそうだが、このクチャの町も1981年放送当時とはえらく様変わりしていた。もっとも、クチャの場合は、観光地化したというよりも、油田開発の影響が大きい。漢代の烽火台(左)と油田の炎(右)の写真がこれを象徴している。

 むしろそういう意味では、都市内の生活ぶりよりも、遺跡エリアのほうが昔の景観が保たれているとも言える。クムトラ千仏洞や、スバシ故城から見られる雄大な景色は、今も昔も変わらない。強いて言えばキノコ型のゴミ箱が気になる程度だ。




疎明と証明

 各種報道によれば、農林水産省が進める諫早湾干拓事業の工事差し止めを命じた佐賀地裁の仮処分決定を不服とした同省の保全抗告申し立てで、福岡高裁は16日、工事差し止めを取り消し、国の抗告を認める決定を出した。これにより、同省は近く工事の再開手続きに入り、2006年度末の完成を目指す。農水省が見送った干拓堤防水門の中・長期開門調査については「国は実施すべき責務がある」と指摘されているが、これについては農水省は実施しない方針であるという。

 一連の記事の中で私が関心を持ったのは
  • 干拓工事の差し止めを認めるには事柄の性質上、一般の場合よりも高い疎明が必要
  • 漁獲量の減少と干拓工事の関連性は疑われるが、疎明されるまでには至っていない
という部分である。ここでいう「疎明」は『新明解』には出てこない言葉であり、別の辞書では「自分の言行などを説明して理解を求める」」とも記されているが、ここではどうやら法律用語のようだ。ネットで検索すると
疎明とは、その事実について裁判官に一応確からしいとの推測を生じさせる程度の証拠を提出することである...
などという記述が見つかった。

 世の中の出来事には、科学的客観的に証明できる事柄と、推測無しには判断できない事柄がある。科学の世界では「分からないことは分からない」で済むが、訴訟ごとではどちらかに決めなければならない。そのような際に、了解性を重んじるという視点から「疎明」などという言葉が出てきたのではないかと思ってみたりする。

 諫早湾干拓についてはこの日記でも何度か取り上げたことがあるが、結局のところ、

●代議制民主主義のもとでは目先の利益が優先されやすい

ことを象徴する事例として長く語り継がれることになるかと思う。代議制民主主義のもとでは、政治家は地元の利益、それも5年〜10年のスパンの「目先」の利益を誘導しなければ地元からは支持されない。そして、代議制民主主義のもとでは、行政機関は政治家の意向を反映せずに施策を進めるわけにはいかない。

 干拓工事の是非というのは決して一地域の漁民の被害の有無だけで判断されるべきものではなく、50年、100年後の地球環境を十分に見通したうえで論じられなければならないのだが、政治も行政も、なかなかそういう長期的な視野に立つことができない。