じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
冬瓜の花越しに見る実りの秋。今年は台風や長雨の被害が無く、良質のお米がたくさん採れそうだ。
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【ちょっと思ったこと】
Web日記執筆習慣のおかげで締切に間に合う 10月3日投稿締切までに論文を完成する必要があり、10月2日は朝から執筆に励んでいたが、18時すぎにめでたく完成。一週間ほど前にはなかなか考えがまとまらず苦労していたところであったが、直前になると筆が進む。毎度のことだが、締切間際になると何とかまとめ上げられるというのは、、毎朝8時頃までにWeb日記を書き上げる習慣のおかげだ。 もっとも、締切間際になってよいアイデアが次々浮かんでくるというわけでは決してない。2002年10月31日の日記にも書いたように、これは秒読み将棋と似ている。ギリギリにならないといろんな可能性を捨てきれず思考が堂々巡りする。そして秒読み段階に入って初めて、迷いが吹っ切れて筆が進むようになるというわけだ。 さて、論文を書き終えたのもつかの間、いよいよ後期の授業が始まる。3日にはさっそく3コマの授業が予定されている。これからしばらくは、例によって、滅私奉公の日々が続く。 今度こそ、残暑終わり? 10月2日の岡山は、最高気温が30.8度まで上がり、10月としては珍しい真夏日となった。念のため、昨年の10月の観測記録を調べたら、10月1日が26.9度、2日が28.1度となっていた。昨年10月は一度も30度を超えていない。少々高めの気温が続いていたようだが、秋雨前線が南下したこともあって、どうやらこれで残暑は終わり。長袖でちょうど過ごしやすい気候になる模様。 |
【思ったこと】 _51002(日)[心理]社会構成主義と心理学の新しいかたち(7)オペラント概念についての理解不足 Gergen (1994、翻訳書p.26)は、劇的な影響力をもったものとして、生得主義に基づく批判を挙げている。 中でもとりわけ劇的な影響力をもったのは、生得主義に基づく批判であるそれは、人間行動が、刺激入力からだけでは決して説明できないと主張する限りにおいては、一九三〇年代のゲシュタルト心理学による批判と共通していた。例えば、チョムスキー(Chomsky, 1968)が見事に示したように、言語使用の能力は、原理的に、環境からの強化によっては導かれえない。また、ピアジェ(Piaget, 1952)らによれば、抽象的思考能力は、学習によって獲得されるものではなく、子供の自然な発達によるものである。より一般的に言えば、有機体は、固有の生得傾向情報を探索し処理する傾向、仮説を立てる傾向、目標に向かう傾向などを備えていることが主張された。こうした議論の出現により、一方向的な因果関係-----刺激→反応という因果関係の連鎖という考え方も崩壊した。そして、多くの点で、有機体はそれ自身の自律的な行動原因をもっていると主張された。しかし、以上の主張は行動分析学の中心概念の1つである「オペラント」にふれていない。特定の刺激(無条件刺激または条件刺激)によって誘発される「レスポンデント」(無条件反応または条件反応)と異なり、「オペラント」は生活体によって自発される行動として定義され、その行動に結果が随伴することで変容する。オペラント条件づけの枠組みは「一方向的な因果関係-----刺激→反応という因果関係の連鎖」などというS=R理論とは無縁である(長谷川, 1993参照)。 なお上記引用の中ではチョムスキーの「言語使用の能力は、原理的に、環境からの強化によっては導かれえない」、あるいはピアジェの「抽象的思考能力は、学習によって獲得されるものではなく、子供の自然な発達によるものである」という指摘が論拠に挙られているが、これらは現時点で、必ずしも実証済みであるとは言い難い。またこれらが部分的に実証されたとしても「言語使用能力や抽象的思考能力はいかなる意味でも学習を必要としない」などとは断定できないはずだ。もしそんなことになったら、学校で言語使用や抽象的思考を教育すること自体無意味になってしまう。さらに、スキナーの徹底的行動主義では、人間行動のすべてが学習だけで決まるなどとは一言も主張されていない。7月末の日本行動分析学会年次大会で佐藤が紹介したスキナー語録の一節はこのことを端的に表している。 I am a place in which genetic and personal history come together to produce what I am doing. 次回に続く。 |