じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _51005(水)[心理]社会構成主義と心理学の新しいかたち(9)科学的認識についての捉え方 Skinner(1953)が著した『科学と人間行動』は、行動が科学研究の対象となりうること、実際にどういうアプローチで研究が可能かを明らかにしたものであった。しかし、だからと言って、伝統的な自然科学の方法論をそっくり踏襲したわけではない。特に、仮説演繹ということと、仮説構成体に関しては、他の行動主義とは本質的に異なっている。科学的発見についての行動分析学の考え方は、むしろ、社会構成主義の主張に似通ったところがある。 しかしこのことに関するGergen(1994)による行動分析学の主張の特徴付けは必ずしも正確ではない。Gergen(1994、翻訳書21〜22頁)は
しかし、実際には、Gergen(1994.、翻訳書p.23)が“以上の議論の結論として、クラーク・ハルの『行動の原理』からの引用に優るものはないだろう”として言及しているハルの理論は、現在では歴史的遺物以外の何物でもない。また、ハルの仮説演繹法と仮説構成体に基づくアプローチ方法を最も手厳しく批判したのは、スキナーの「Are theories of learning necessary?」という論文であった(Skinner, 1950)。 さらに、佐藤(1993)は「行動分析学における動物実験の役割-----<理論>の敗退と反復実験の勝利-----」という評論において、仮説演繹法や仮説検証を目的とした実験が敗退し、行動分析学が重視する生起条件探求型実験が勝利に終わった理由を詳細に解説している。 長谷川(1998)は、佐藤(1976、『行動理論への招待』. 大修館書店. )の翻案として 行動分析学における科学的認識の特徴が 科学的認識は、広義の言語行動の形をとるものだ。人間は、普遍的な真理をそっくりそのまま認識するのではなくて、自己と他者の相互の要請に応じて、環境により有効な働きかけを行うために秩序づけていくというのが、基本的な視点となっている.という点にあることを指摘した。 社会構成主義では知識は社会的に構成されるという主張されてきたが、以上見てきたように、じつは行動分析学の捉え方もきわめて似通っているのである。もし違いがあるとすればそれは、行動分析学においては「知識が社会的に構成される」プロセスは行動随伴性に依拠していると考えている点、また随伴性のかなりの部分は操作可能であり、再現可能であると考えている点であろう。 次回に続く。 |