じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 大学構内のエンゼルトランペット(キダチチョウセンアサガオ)。岡山では11月16日には5度台、17日には4度台まで気温が下がった。エンゼルトランペットは霜に当たると、地上部はたちまち枯れてしまう。おそらくこれが今年の咲き収めとなるのだろう。

 この株は何度も花をつけているので不思議だなあと思っていたが、エンジェスルトランペットの育て方というサイトに、「エンジェルストランペットは、非常に肥料食いです。肥料の大食漢とでも言うのでしょうか。」と記されていることが分かった。そう言えば、この株は、有志の方がせっせっと肥料を与えていた。


11月16日(水)

【思ったこと】
_51116(水)[心理]社会構成主義と心理学の新しいかたち(12)客観主義の功罪

●Gergen, K. J. (1994): Realities and relationships; Soundings in social construction. Cambridge: Harvard University Press. 【永田素彦・深尾 誠 訳 (2004):社会構成主義の理論と実践---関係性が現実をつくる, ナカニシヤ出版.】

の第7章「レトリックの産物としての客観性」(翻訳書219頁〜)で、ガーゲンは客観性について
  • 客観性は、科学者に特有の心的機能に由来するのでもないし、自然を正確に描写する科学者の能力に由来するのでもない。そうではなくて、客観性は、基本的に、人間行動の機械メタファーに基づいて言語的に達成される(翻訳書 p.219)
  • 客観性の概念は、現代社会において、巨大なレトリックの力をもっている。すなわち、それは、科学的研究、教育カリキュラム、経済政策、軍事予算、国際プログラムを計画し正当化するのに、中心的役割を果たしている(翻訳書 p.219)
  • 客観性の要請は、多くの場合、道徳的な規範でもある(翻訳書 p.219)
  • 客観性は、レトリカルな営みの一つにすぎない。客観性のレトリックを用いることは、適応や道徳判断にマイナスの影響をも与えかねないのである(翻訳書 p.220)
と位置づけている。それゆえ、客観性を主張することが正しいのかどうかという議論よりもむしろ、客観性の言説が、それぞれの時代でどういう役割を果たし、どういう功罪をもたらしているのかを改めて考えてみる必要があるというわけだ。

 客観性を重視するということは、かつて、「自らの予知力と洞察力を主張するエリートたちの権威に挑戦するために用いられ、したがって、民主主義とともにあった」(翻訳書 p.239)。じっさい、かつては、支配者や霊能者や長老の口にすることが唯一の真理であり、それに絶対的に服従することが求められていた時代があった。権力をもつ者と対等に議論できる方法は、「客観的な」証拠を挙げて相手を論破することである。現代においても、十分な客観的証拠さえ持っていれば、大学院生でも学部学生でも、大学教授と対等に議論することができる。時にはその教授が唱える理論を覆すことだって可能なのである。

 ガーゲンは、客観性の言説が、学間的・手続き的客観性を達成するために有効性であることは認めているが、その反面、現代では、「科学技術エリートによる客観性の言説は、それが客観的であることの根拠を明らかにできないばかりか、「客観的」でない言語のすべてを力ずくで押さえ込んでしまう。」という弊害をもたらしている点を鋭く批判している。心理学においてもじっさい、「文脈依存性、関係性の形成、対話の過程を強調する記述方法が模索されつつある。」のはこうした背景に基づくものであると言えよう。




 ガーゲンが言う「学間的・手続き的客観性」と同じ意味になるが、客観性を重視した手続は、再現可能性を高めるという点で有用であると思う。例えば、原始的生活を送っている人たちにとって「木をこすり合わせて火を起こすにはどうすればいいか」という情報を共有するためには、木をどのくらいの力とスピードで何分間こすり合わせるのかという客観的情報が唯一有用である。その人がどういう気持ちでこすっていたのか、赤々と火が燃え上がった時にどんな印象を受けたかというようなことはどうでもよい情報なのである。昨日、実験論文で方法や結果を記述するさいに客観性が重視されるのは、「客観的表現>主観的表現」というように価値を置くのではなく、再現可能性を保証するために必要であるからだ、と理解しておく必要があるだろう。ま、そういう意味では、同じ情報を伝えるにあたっての、「客観的に見せかけるためのレトリック」は大して重要ではない。

 もう1つ、ガーゲンは、「客観性の言説は、それ以外の言説実践の豊かな多様性その文化の歴史の中で蓄積された言説実践の資源を排除する。さらに、客観性の言説に巻き込まれる科学的研究の対象となる-----と、人間の尊厳は傷つけられる。」(翻訳書 p.239)と述べているが、「客観性以外の言説実践」や、行動に伴う個人的な感情変化の過程なども実は、客観的分析の研究対象になりうる。「私的出来事イコール主観的」というわけではない。


 次回に続く。