じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
農学部・農場横のケヤキの紅葉。私が生まれ育った東京・世田谷では、かつては、大きなケヤキの木が何本も生えていて、こういう景色を見るとそのころのことを思い出す。
写真右は、本年4月21日に撮影した新緑の頃の写真。 |
【思ったこと】 _51123(水)[心理]加齢の空しさにどう立ち向かうか(4)個人資産を失う空しさからの脱却 昨日の日記の続きで、連載の4回目。明日から海外に行く予定があるので、このあたりで「中間まとめ」をしておきたいと思う。 これまでのところで私が言いたかったのは、
ちなみにこの日記のタイトルは「じぶん更新日記」となっているが、今述べた意味では、「じぶん更新」とは、「じぶんの資産を増やす」という意味と同義となる。従って、加齢による空しさとは、じぶんが更新できなくなることを悟る空しさということにもなる。 というように考えていくと、加齢の空しさに立ち向かうためには、身体機能や知的機能が低下しても、あるいは家族に不幸があっても、失われることのない資産が結果として殖えるように、能動的に振る舞っていくことになる。 奉仕活動や環境保護活動に従事する人というと、何だか、自分を犠牲にして他人のためだけに尽くすエライ人という印象をいだいてしまいがちであるが、 幸福とは、好子(コウシ)を手にしていることではなく、それが結果としてもたらされたがゆえに行動することであるというスキナーの幸福の定義の中の「コウシ」の質を、個人的資産から、自分が老化・死滅しても失われることのない資産(=おそらく公共的資産、さらには地球全体の資産)というように置き換えれば、別段、個人主義的人生観を改めなくても、ごく自然に、そういう活動への関与が増えていくことになるのではないかと考えている。 なぜなら、生きがいとは、結果として資産が増えるように能動的に行動するそのプロセスにあるのであって、資産そのものの中味は自分のモノであっても他人のモノであっても本質的には大して重要ではないからだ。 以上述べたことは、すべて個人主義的人生観に基づく発想である。関係性を本質と見なす人生観については、社会構成主義に関する連載の中で改めて考えを述べていくことにしたい。 |